不入斗とは何なのか? 14 | protoplastico surfboards & designs  

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インターネットの普及とともに、情報のアーカイブ化というのが提案されて十数年になりますが、大半のアーカイブスプロジェクトはやる気のある少数の人達が始めて、その後、予算不足で尻つぼみになって放置されているのが常です。

そんな中で量、質ともに国内最大の情報量を誇り、現在もデータ蓄積が進められているサイトを二つ。

国立公文書館
《国立公文書館デジタルアーカイブ》
http://www.digital.archives.go.jp/

国立国会図書館
《近代デジタルライブラリー》
http://kindai.ndl.go.jp/

この二つは取り扱う書籍の時代が異なり、平安時代から江戸時代までの古文書などは《国立公文書館デジタルアーカイブ》を、明治から現代までの史料は《近代デジタルライブラリー》で。

それ以前の時代の史料は

奈良文化財研究所
《木簡画像データベース》
http://jiten.nabunken.go.jp/index.html
から検索できます。


これらのアーカイブスの素晴らしいところは情報が文字情報だけでなく、1ページずつ画像として閲覧できるので原本の筆致や挿絵まで確認出来ることです。

調べ物をしていると文字の大小やちょっとしたレイアウトの違いによる情報というのも、時には重要なヒントになりますので、これは非常に便利です。

それでは一つ検索してみましょう。

photo:01



《近代デジタルライブラリー》から【不入斗】をキーワードに抽出してみました。

すると、

《吾園随筆(ヨウ)篇》

という本がヒットしました。4巻あるうちの第1巻に不入斗の記述がある模様。

〔本文をよむ〕をクリックすると、

photo:02



画像がでます。
ブラウザ上でペラペラとめくっていくと、

photo:03



【不入斗】の項がありました。

〝斗〟の字が〝読〟や〝計〟と同じように【数える】という意味であること、免租地に由来した地名であることが書かれています。

【伊里也末須】と字があてられています。あらたな情報が得られました。

もう少し調べてみましょう。



明治26年に編纂された《日本地名全辞書》には《新編武蔵風土記稿》の一文が引用されていました。


『不入斗村は古へ多く不入讀村とかけり、諸國ともにこの地名あり、その一二をいはば、遠江國山名郡、及同國城飼郡、上總國市原郡に此村名あり、或云不入讀、不入斗ともにその貢税を國守へ収めさるの義なり中古以来不入の地とは云は、それを下略せるなりと、今按ずるに此説得たりと云へし、上に出せる地を以て考ふるに、遠江國山名郡不入斗村に浅間の古社あり。これ神名帳に載せたる郡部神社なりといふ。叉城飼郡不入斗村にも日向神社あり、上總國市原郡不入斗村は姉崎村に隣り、姉崎村は神名帳に載る所の海上郡姉崎神社ある地なり。この海上郡は後世擁して市原郡に属せられたり、さればこの村名をおひし所には多く式内の神社あれば其神田のあとなりしと見え、猶この類諸國に多かるへし、これを以推すに、當村にも式に載たる磐井神社ある地なれば、その神田のあとになりしにや云々』

日本地名全辞書 明治26.11

各地の不入斗が、それぞれどこの神社の領田だったのかが書かれています。

《延喜式神名帳》に記述がある式社となると、必然的に市原は姉崎神社、大森は磐田神社ということになりますね。

予想通り。とも言えますが、【不入斗】の地名の初出は1273年(文永9年)のことです。

この地名が《延喜式神名帳》の書かれた927年にまで遡れるものなのかは、以前として明らかになっていません。




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