介護は疲れる

本当に疲れる

介護は丁度 鏡
自分を映す鏡である

忙しさにかまけて
滋子さんの介護の手を抜いたり
せかしてすると
滋子さんの顔に私が映る


滋子さんが倒れた折、
托鉢(夜遊び)を終えて、寺修行に戻りますと
書いたが、
寺修行
生半可でない

手ごわい

介護は本当に修行である

道半ばの修行である
ブログを更新し、
自分のブログを確認しようとしたら、
看護ってなんだろう
という言葉が飛び込んできた

看護って何だろう

看護って何だろう

ひとついえること

看護は、オートクチュール(オーダメード)であり、既製品ではない

それだけである

人間を一定の枠に入れ、グループ分けして、その程度で金額を決める

人間を枠にはめ込めないように
看護も同じである。

だって、人間の看護であるから

それを厚生労働省は
専門化した医療と同じ手法で監理しようとする

だから現場は、困惑し、疲弊する

パパ

滋子さんが呼んでいる

ここにも
オートクチュールの看護がある
3月21日

少しさかのぼってみたい

神戸の震災の3月前
東京駅 ダイエー 7階 ルビーホール
4人の人間が熱く語っていた
もっとも
熱弁をふるっていたのは
Y氏
それを私を含む3人が聞き入っていた
聖マリアンナ大学のY教授、早稲田大学客員講師のY氏
すべて Y氏
Y氏は、関東大震災、福井地震、東南海地震、そして中国の陶山地震
の膨大な資料をまとめながら、
大規模地震の国レベルの対策指針を作成していた。
そして、我々が医療分野及び都市災害部分を担当していた。

その当時、霞ヶ関はだれも
興味を引かなかった

そして 阪神大震災

5日後
神戸 長田 に佇んだ私は
大震災の被災を目の当たりした

そしてその後の復旧
まさに
過去の地震と同じ経緯をたどっていた


そして
3月21日である
液状化
われわれが想定していた被災と
まったくことにした
被災に私たちは出くわしてしまった

本当にそうだろうか

本質は同じだったのでは

そんなことを考えている。

今我がマンションは20年目の改築工事で、足場が周囲全体を覆っている。
自慢の昼の陽だまりもない状況である。
冬の午前中
長い陽射しが窓から入り込み
金魚蜂の中のような暖かい生活があったが、
来年1月末まで
お預けらしい

3月21日
液状化
このとき
私はこの海風の街の
副理事長
しかも 営繕担当 
その後 大変な日々であった。
来年から 徐々に以前の状態への復帰の工事が目白押しである。
いつか
3月21日が懐かしい思い出になるのであろう

少し、3月21日からのこと
そろそろ
話してもいいのかもしれない。

もっとも
私の目から見た世界であり、ここ海風の街の皆さん
それぞれの見た世界があったのしょうが

間違っていたのだが、
総理の野田さん
はじめ 泥鰌(どじょう)にたとえられていたが
私は
野田
から
野だいこを連想した
夏目漱石の坊ちゃんの登場人物である。
この野だいこ 本名は野田だと思っていたが、実は吉川というらしい
中年のおじさんらしい間違いである。
閑話休題
坊ちゃんの登場人物
主人公が赴任先の学校の先生に、あだ名をつける

山嵐
数学の主任教師。会津出身。正義感の強い性格で生徒に人望がある。坊っちゃんとの友情を得る。名字は堀田。ニッケル側の懐中時計を用いる(第十一章)。
赤シャツ
教頭。松山中学でただ一人の帝大卒の文学士。陰湿な性格で、坊っちゃんから毛嫌いされる。通年、ネルの赤いシャツを着用する。琥珀製のパイプを絹のハンカチで磨く。奏任官待遇(第四章)。金側の懐中時計を用いる(第七章)。独身、弟と一戸建て(家賃9円50銭)に住む(第八章)。
野だいこ
画学教師。東京出身。赤シャツの腰巾着。名字は吉川。江戸っ子で、芸人ふうに「…でげす」(…です の意)と言う。
うらなり
英語教師。お人よしで消極的な性格。延岡に転属になる。名字は古賀。
マドンナ
うらなりの婚約者だった令嬢。赤シャツと交際している。坊っちゃん曰く、「色の白い、ハイカラ頭の、背の高い美人」、「水晶の珠を香水で暖ためて、掌へ握ってみたような心持ち」の美人。作中のキーパーソンだが、セリフはなく出番もわずか。名字は遠山。

坊っちゃんの学校の校長。事なかれ主義の優柔不断な人物。奏任官待遇(第四章)。

これからみると
野だいこの本名 吉川というらしい
すみません総理の野田さん

野だいこを辞書で引くと、
素人 (しろうと) の太鼓持ち。転じて、 芸がなく、座をとりもつだけの太鼓持ち。

もっとも、霞ヶ関の
ヨイショをする
太鼓もち

なんだまちがっていないじゃないか

このぼっちゃん
最後は主人公と山嵐と、不正をしていた野だいこを懲らしめて
学校を去る

さて、来年 野だいこの野田総理
懲らしめる人物はいるのだろうか