来週月曜日はとよおかクリニック。

先月は自信を無くし、それが故に人と話すのが怖くて
どうしようもなかったため心療内科に行きました。

そこで昔もらっていたドグマチールと
ワイパックスを服用して、
不安感を消しました。

本当は向精神薬は、本質的な解決には
ならないと思うのだけど、仕方ないので飲みました。

とよおか先生にもらった漢方で効いているのは
物事に怒ったり、キレたりしなくなったことですが、
人への恐怖感はまだまだ直っていないということです。
かなり良くなってきたのですが、
それでも常にどこか耐えている感じがあり、
何かの拍子に気持ちがボキッと折れることがあります。

とはいえ、いまは落ち着いていて、仕事でも人とはちゃんと話せています。
自分の会社が自分に求めていることを考えてみた。

期待されているタイミングで、周りのひとが納得して
呑み込んでいることがすぐに理解できないので、自分でも
なんかイマイチだなと思いながら生きている。

しかしよくよく考えてやっとわかったことは、
「スピード競争、性能競争」だということだ。

仮に独創性が求められるといっても、上記のような競争が前提となった独創性である。
むしろ今はまったくそんな独創性は私には求められていないので、
とにかくスピード、性能を上げるための阻害要因を調査し、
対策、改良する。

ということなのだが。。。

問題は、そのことが心に響いてこないことである。
一生懸命考えて、問題の見つけ方を構築していくことも
できるようになっているのだが。

給料をもらっているんだから会社員としての責任を果たせ、と
偉い人に説教されそうだ。
それはそのとおりだから反論の余地は無い。

心に響くことを探しても時間の無駄だという人もいると思う。
会社人として働いている今の時間は、そいういう心の揺れ動きを
どうしても避けることはできないだろう。


ところで、今、
「どうして自分はこういう風に思うんだろう、考えるんだろう」、と、
自分の心がいつも自分から離れていかないようにずっと訓練している。

そういった訓練の成果なのか、
とよおか先生におしえてもらった漢方薬により、脳の働きが変わってきているのか、
最近、昔の記憶がよく思い出されるようになってきている。

そこでいつも思うのが、私の記憶は「映像」なのだ。

物を覚えるのも、言葉すらも、実は、「映像」で覚えている傾向がある。

プレゼンの文章を覚えるのは、言葉ではなくて、プレゼンの表示している
スライドを覚えて、そこに写っている文章を見て思い出すのです。

みんなそんなもんだろうと思っています。

昔、ピアノをやっていたのですが、楽譜を真面目に見たことがないのです。
音符を真面目に覚えようと思ったことがありません。

一回弾いたら、あとは、鍵盤の場所とリズムで判断するのです。

会社の上司にも、「ものの考え方が浅い」とよく言われるのですが。
たしかにそうです。物事の場合を分けて、多面的に検証すること、というか
「そうやって検証しよう」という意思に欠けると思います。
というか、すぐそういう手法をとることを思いつきません。人に指摘されるまでは。

見たままで判断して、自分の感性だけになってしまうので、
科学的ではないし、抜けも多いんだと思います。




こういう感じで、自分のものの見方を見つめなおしています。








それは心の準備。

今の自分を知ると、

どうしても心を決めておかなければいけない事がわかる。

だから、心が変わっていけば

自然と覚悟の内容も変わる。

自然体で、不自然な覚悟をしなくてもいいように

そういう人間になっていきたい。