今日から、パルス療法になります。辛い治療であると同時に、情緒不安定になるから何を書くか分からなくなるので、パルス療法が終わるまでブログを休止します。
ここにいると、いろいろな患者がいるから、ネタには事欠かないですが、プライバシー問題で書けない人達もいます。
私の入院を聞き付けて、また別のナース達が手土産を持って面会に来ました。
今回は、三人の人妻ですが皆違う病院で今は働いています。
こいつらも無礼な奴等でして、入って来るなり、顔がアンパンマンになっているね。
そういう事を平気で言う奴等なんです。
今は別の大学病院にそれぞれいます。
三人共に、子持ちには見えない若さがありますから、患者にナンパされて喜んでいます。
ある時、院内肝試しをやったそうです。
偶然、霊安室に本物の死体があって、それに線香立てて帰ろうとしたら、線香がバチッと音を立てたと笑って言ってましたが、それは霊が怒っている証拠なんです。
後ろに中年女性の怒っている霊がいるから、不思議だと思っていたけど、納得出来ました。
私は軽く注意しましたが、信じるかどうかは微妙ですね。
後の2人は、旦那の生き霊が見えるだけですが、これ以上浮気三昧だと家庭崩壊だな。
どうして、今日は尻軽ガールズしか来ないのだろう?やはり、類は友を呼ぶのだろうか?
日本で軍師が大勢いたのは戦国時代ですね。
私が目立たないけど有能だと思うのは、越前朝倉の軍師、朝倉宗滴です。
あと十年生きていたら歴史が変わったかもしれません。
金ヶ崎の撤退も宗滴がいたら秀吉も信長も討たれたかもしれません。
名門朝倉を1人で支え、軍政共に秀でた才能はもっと評価されても良いでしょう。
もう1人、過小評価されているのが今川の軍師、太源雪斎です。
まさに、知恵の塊です。
山本勘助を武田にスパイとして送り込みました。
しかし、山本勘助は武田に寝返りましたけど。
人質として今川にいた、幼い徳川家康に、軍学や政治学をみっちり教えたのは雪斎です。
さらに、武田、北条と血縁同盟を組んで今川の上洛を可能にしました。
いざ上洛と言う時に、雪斎はもう死去していました。もし、生きていたら桶狭間は無いでしょう。
大高城で一夜を明かして尾張に進攻したはずです。
今川の滅亡は雪斎の死去から始まりました。