私と同姓同名は、この病院の登録カルテだけで4人いますから、実際にはもっといるかもしれません。
私がベッドで安静にしていたら、見知らぬ親父さんが来ました。
私のフルネームを聞いて来ました。
話が噛み合いません。
どうやら、誰かの見舞いに来た時に、私の名札を見ていたらしいのです。
わざわざ手土産を持って来てくれましたが、丁重に御断りしました。
こうした間違いは珍しいですね。
三国時代の数多の武将で、私が一番好きな武将は、孫策です。
そして、その孫策の幼馴染みで義兄弟でもある周瑜も好きです。
この2人こそが三国を統一してもおかしくないコンビでした。
周瑜の智謀と孫策のカリスマ性はベストコンビでしょう。
人材も豊富な孫呉ですが、何と言って孫策の急死は応えましたね。
弟の孫権がいたから分裂などは避けられました。
呉が弱体化した時に曹操率いる大軍を迎え討ちました。
どうにか勝ちましたが、孔明の智謀に対する恐怖感が芽生えたのが周瑜の不幸でしたね。
荊州争奪戦で戦傷を負ってしまいました。
それでも無理をして劉備軍と闘いましたが、孔明に策を看過されて破れ呉に帰還する時に死亡しました。
何故、私のいる時代に孔明が居たんだ。
これが周瑜の最後の言葉と言われています。
美周郎と言われたイケメンで、詩を読み、知勇兼備の名将でしたが、背負った物が大きすぎ過ぎたし、気負いすぎました。
部下の呂蒙、陸遜が育っていて、君主たる孫権を補佐できたから呉は蜀よりも存続しました。
久しぶりに、骨の髄からの恐怖を体験しました。
体調は、悪いのは点滴が強いステロイドパルスだから当然で、血便も副作用で出ていました。
夜、寝る頃になったら急にしゃっくりが止まらなくなりました。
これが全ての始まりでした。
何が原因かは分かりませんが、低級霊から悪霊までが病棟を彷徨いていました。病死と事故死の患者の霊でしょう。
東寺からの御守りは病室で、私はトイレで動けなくなりました。
御不浄の間と言われている空間です。
下腹に力が入らない状態でしたが、東司の神様を呼びました。
五大明王の1人を降臨して貰いました。
呪文を覚えていて良かったです。
やれやれ一難去ったと思ったら、ベッドにもいました。
こちらは強かったです。
大日如来さまの御守りを翳して、呪文を唱えて結果府座を組んで深夜2時過ぎまで対決しました。
どうにか追い払いましたが、心身共に疲れはてました。
後で原因は調べてみます。きっとろくなもんじゃないでしょう。