不良太郎のうまうまメモリーズ~5
今日は5月5日、こどもの日
毎年、この日になると思い出さずにはいられない馬がいる
第5回
マチカネコイノボリ
父 キタノカキドキ
母 クリプシー
この馬は、わての可愛かったランキング、思い入れの強かったランキングの牡馬部門両方1位
牝馬も含めた今までの担当馬の総合ランキングでダントツの1位の馬と言っていいだろう
写真があまり残ってないのは、デビューして1年も経たずにこの世を去ってしまったからだ…
故H川オーナーの冠号であるマチカネ
わては、マチカネコーシで初めて重賞レースに出走(京阪杯・2着)させていただいたり、たくさんの馬を担当させていただいた
多分オーナー別では1番勝ち鞍が多いと思う
また次回紹介しようと思うが、牝馬の可愛い部門1位もマチカネさんの馬だ
コイノボリは今でゆう3歳の春に入厩
ケガなどで遅れたが、入厩以来、キビキビした動きで「これは早くに勝てる馬やぞー」と、助手も言っていたので期待が膨らんだ
そして前の厩舎の調教師だったI藤先生が「せっかくやからこいのぼりの時期にデビューさせよう」と洒落っけを出してくれたので、メンコなどいらないおとなしい馬やったにもかわかわらず、パドック専用に「こいのぼりメンコ」を作成した
赤と青の二色を作り、レースごとに替えて使用
デビュー戦では青のメンコをパドックで着用
レースではスタート後手をふんだが、後方一気で快勝!
新馬戦が終わってたので未勝利だったが、見事な初戦勝ちをおさめた
その後も後方からのレースが定着し、確実に差してきたが取りこぼしも多かった
7ヶ月で8戦中、3勝して2着4回4着1回
こいのぼりメンコもあってか、次の9戦目の準オープン戦まで、すべて一番人気
後方一気の脚質もファン好みやったしね…
そして運命の9戦目、2月13日京都競馬場
準オープンの斑鳩特別(1600m芝)
かなりの人気を背負っていたが、いつものように最後方からのレース
3コーナーで大外に回したとこで、フッと馬群からコイノボリの姿が消えた
見間違いかと思ったが、ゴールした馬達の中にコイノボリの姿はなかった…
急いで3~4コーナーへ走って行くと、騎乗していたK内騎手が歩いて帰ってきて「アカンわ」と一言
わては何が「アカン」のか、よくわからなかった…いや、わかりたくなかったんかもしれん
現場に着いたら、コイノボリは3~4コーナーの中間地点の外の植え込みに突っ込んだ状態で倒れていた
膝から下の骨が無くなっており、皮一枚で脚の下部分とつながっていた…見た瞬間涙が溢れた
立ち上がることができず馬運車に乗せられないので、その場で幕を張りお客さんから隠し安楽死の処置が取られることに…
わては前年にもスラッシュとゆう牝馬が函館競馬場の同じ3~4コーナーで骨折し予後不良
その時はあまりのショックで放心状態になってたら、係員に「行かなくていいよ」と両脇をかかえられて車に乗せられて帰ってしまったのだ
最後を看取ってやれなかったスラッシュの後悔から、今回は気丈に係員に「抱いてあげてますので注射打って下さい」と言い、首を膝に乗せてずーっとさすってやった…
そしてコイノボリはわての腕の中でゆっくり息をひきとった…
すぐ死ぬはずの注射なのだが、コイノボリはなかなか死ななかった…生きたかったんやろうな
この時の事を漫画家のやまさき拓味先生に話したら、自身の「優駿の門」とゆう作品でアルフィーとゆう馬が安楽死する場面の参考にしたとゆうてはった…今でもそのマンガのシーンを見たら涙が止まらへん
ホンマに可愛い馬やったマチカネコイノボリ
寝藁は汚さず、悪い事はいっさいせず、人なつっこかったコイノボリ
わてが短期出張でいなかった時、当時競馬学校生やったC田(現調教師)がコイノボリの世話してくれたんやが、「ネズミがうまやに紛れこんで、それを必死に追いかけて前脚でもぐら叩きみたいにパンパンやってるの見て大笑いしましたわ」と言っていたのを思い出す…
最後以外、楽しい思い出しかないコイノボリ
死んでしまったからとゆうのもあるが、この馬を超える可愛い馬に出会う事は多分ないやろうなぁ…
わてが後方から3~4コーナーの大外まくって行く競馬が嫌いになったのは、この2頭の馬の死が原因している…
コーナーでスピードをあげるのは、Gが相当かかり脚に負担をかけるからね…勝ち方はカッコいいんやけど
今でもたまに京都競馬場での担当馬のレースで、3コーナーあたりを馬が走るとドキドキする事がある
馬はまず無事が一番やね!
ほなまた