石川遼選手の苦悩から学ぶ。 | ベースボールバイブル
こんばんは。
ベースボールバイブルの東です。


石川遼選手に関するコラムが。
↓↓↓
2011年シーズン、石川遼が味わった「苦悩の5大ニュース」(Sportiva)


これ、参考になります!


ちょっと拝借。


アメリカという国はやはり広い。ゆえに、トーナメントが行なわれる会場によって芝の状態がまったく違う。フェアウェー、ラフそれぞれ、芝面の固さはもちろん、質や粘り気、刈高だって異なる。その中で要求される技術は非常に多彩で高度なモノになる。


また、米ツアーのコースは距離が長く、参戦するプロの中にはとんでもなく飛ばす選手がいる。一般的な「飛ばし屋」というのが320ヤードくらいの飛距離だとすれば、とんでもない選手は360~400ヤードも飛ばす。


そうした世界を見るだけではなく、実際に体験することが増したことによって、石川は今自分が持っている実力と世界との差というものを、いろんな意味で感じるシーンが多くなった。そして、圧倒的な飛距離の違いにしても、ショートゲームにしても、「自分はまだまだ」と実感した。


それが、新たな目標設定につながったのはいいことだと思う。しかし石川は、すべての面において「まだまだ」と思い過ぎてしまった。やらなければいけないことが自分の中で飽和状態になって、消化し切れなくなっていた。海外でプレイすればするほど、そうしたことは誰にでも起こりうるのだが、これまで自分のいいところをうまく出して勝利してきた石川にとって、自分の足りない部分にばかり目が行くようになったことは、明らかにマイナスに作用した。



ここです。ここ。


やらなければいけないことが自分の中で飽和状態になって、消化し切れなくなっていた。


これ。


気をつけて下さい。


あれも、これも。


もっとひどくなると、


あれも、これも、それも。


で、


結局、何も伸びていない。


なんていう危険が・・・


まあ、


悪い事ではありません。


意識の高い選手です。


ただ、


どんな世界でもそうですが、


絞り込め。


焦点を当てろ!


って、言われますよね。


もし、


あれも、これも、それも。


と、なっているんなら、
絞り込んでみてはどうですか?


さて、次です。


米ツアーで自らの足りない面を知った石川だったが、同時に「早く結果を出したい」という気持ちも強くなっていたはず。練習や努力をしない選手だったらそうは思わないのだけれども、石川は人一倍、努力し、練習している。だから、「まだまだ」と感じながら、練習を重ねる中で、自分なりにある程度の手応えがあったのだと思う。


しかし石川は、マスターズで自らが思い描いた結果を出せなかった。初めて予選突破を果たしたものの、米ツアーの選手がチャージをかける3日目にスコアを伸ばせずに終わった。勝負をしなければいけないとわかっていながら、結果を求めるがために攻め切れず、守りに入ってしまった。また逆に、守らなければいけないところで攻めてしまい、自滅することもあった。


特にマスターズをはじめ、海外メジャーでは、その見極めが難しい。勉強で言うところの、応用問題がすごく増えてくる。基本問題はできていても、それだけでは解けない問題がたくさんあるのだ。


このとき、石川は初めて「ゴルフは失望のゲームである」ということを知ったのかもしれない。今まではスポンジが水を吸収するように、練習を重ね、ラウンドを消化するごとに上達し、結果につながってきたけれども、ゴルフというゲームにおいては、やってきたことがまったく報われないことがある、ということがわかったのではないだろうか。



野球も似てるんじゃないですか?


やってきたことがまったく報われないことがある


まあ、


理解して、


心の準備をしておきましょう。


報われないことがある。


ってね。


求めているものに近づいてはいるけれども、その技術は決して自分のモノにはなっておらず、うまく使いこなせていないということ。前述したように、それでは応用問題が増す海外メジャーでは通用しない。


結局、石川は海外で戦えば戦うほど、海外選手のすごさにばかり目を奪われて、その技術を取り入れようと必死になっていた。しかし、その技術をそのまま取り入れようとして、自分の身の丈にあった武器としては身につけられなかった。まるでそれは、自らの器に水を注ごうとせず、カッコよく見える他人の器に自分の水を注いでいるようなもの。突然ショットが乱れることが多かったのは、そのせいだろう。



このコラムを書いている人、
上手いですね。


コピーライターですか?


三田村昌鳳氏。


知ってます?


まあ、いいです。


これ、


自らの器に水を注ごうとせず、カッコよく見える他人の器に自分の水を注いでいるようなもの


カッコいいコピーですけど・・・


守・破・離ってご存知ですか?


簡単に説明すると、
こういう事です。


守=まずは決められた通りの動き、つまり形を忠実に守り、


破=守で学んだ基本に自分なりの応用を加え、


離=形に囚われない自由な境地に至るというものである。



武道の世界の言葉なのかな?


野球に例えると・・・


『守』で、真似しますよね。


『破』で、応用します。


『離』で、完全に離れます。とらわれない。


で、


石川遼選手は、今、『守』の
段階なんじゃないですか?


だから、


別に問題があるわけでもない。


ただ、


松井選手の言葉を借りると・・・


体のメカニック。


これが、


まるっきり違う可能性がある。


なのに、


その選手の技術ばかり盗もうとする。


これは問題ですよね。


それなら、メカニックの部分から
真似る必要があるわけです。


ところが、


技術ばかり・・・


ってなると、まずいとは思います。


まあ、


余計なお世話です。


彼は賢い選手ですから。


心配無用。


最後に、


石川は、マスターズに出場できるかどうか微妙な立場にいた。当然、石川は結果を求めるようになる。しかしその気持ちが強くなればなるほど、プレイが乱れ、空回りした。


同年代のライバル、松山英樹の躍進も石川の気持ちを揺るがした。松山の登場は、石川にとっていい刺激になったのは間違いない。だが、日本ツアーの勝利に加え、マスターズのキップまで手にする同い年のライバルの存在は、石川の勝利へと逸(はや)る気持ちを一層加速させた。そんな精神状態で勝てるほど、ゴルフは甘くない。日本ツアー終了後に出場したタイ選手権でも自滅して終わった。


(中略)


そのためにも、石川は自分が目指すべき方向性、スタイルというものを2012年こそは明快にしていくべきだろう。そうすれば、あれもこれもやろうとして混乱することなく、今やるべきことの整理整頓がつくはず。そして、そのひとつひとつを積み重ねていきながら、「石川遼」というゴルフプレイヤーのキャラというものを確立していってほしい。



まあ、


この方が言っている事は、
ごもっともです。


ただ、


石川遼選手は20歳。


僕は、


僕の想像ですよ。


もっと先を見据えてるような・・・


気がするんですけどね。