ファンタジーの小説を読んでいると、時々「善と悪」以外に、「秩序と混沌」という概念が出てきます。


子供の頃は、どちらかというと、秩序派でした。
整っている事が美しく、ルールに則っているからこそ平穏なんだ、という意味で。


でも、今はどちらかというと、混沌派です。


「秩序立っている」というのは、確かに美しい感じがあります。
ただ、「秩序立った状態」は、維持することが前提で、平たく言えば、完全に守りの姿勢です。
今がいいなら、絶対に、今以上になりえないです。

一方、混沌というのは、秩序の対極であり、秩序を壊す事と同値であり、一見すると悪い印象ですが、でもそこには「可能性」があります。
現状で妥協せず、先を目指す為に、今を壊す。それが混沌だと、僕は思っています。
ただ、今より落ちる「可能性」もある訳で、言葉ほどにはイイもんでもなさげですが(笑)。


時々、悩んでいる人を見ます。

往々にして、悩んでいる人は、すでに自分なりの答えを持っていて、でもその選択に自信がなくて、ただ、必要なのは、その背中をそっと押されることだけ、だったりします。
だから、それをうまく見抜いて、同意すると、とても喜ばれます。
「分かってくれる人」という事で、ポイントがアップします。
また、そうでなくても、結局、その悩みを解決するのは、その人自身であり、周りは、あまり多く干渉できないというか、干渉しすぎると、良くないことが多いです。
当人が、そっとしておいてほしいという時は、そうしてあげるのが筋です。

そーいうのは、僕も、わかっています。
でも、僕はわかった上で、逆の方向に押したり、そっとしておいて欲しいという人をそっとしておかなかったり、という事も、良くします。

それは、そこに違う可能性があるかもしれない、と思うから。
当人が思っている以外の道が、もしかしたら、もっといい選択肢かもしれない、と思うから。
色んな可能性を示唆する人も必要だと思うから。

表現はともかく、そーいう気分の時は、そうします。
思い込みが激しそうな人には、特に。
嫌われたくなくても、嫌われること前提で「わかっていない」人になりきります。
でまぁ、それで良く「この人は合わない」と思われる訳ですが(笑)、
ただ、考えるきっかけが与えられれば、嫌われる価値も、ある気がします。

僕は、その「可能性」を信じています。
でもって、そういう僕は、どう考えても、混沌派だろう、と。


因みにここまで熱く混沌の話を語った上で言うのもなんですが、
「秩序」と「混沌」のどちらが優れているか?という疑問の答えは明白で、


一番いいのは「均衡」


です、多分。
ただ、「秩序」と「混沌」の完全な使い分けは、とても難しく、少なくとも、それは他人に期待できるものではない気がします。