さて、明日は良い事あるかな。 | 司法浪人医師の別荘

司法浪人医師の別荘

自分オリジナルの「使命」を、いい歳こいて!?真剣に探し始めた一人の変わり者の日常を綴る…ための別荘。

ここのところ、自分でもキレ?のない記事が続いている感触がありました。

でも、それで順調。

強い向上心は、必然的に不満足・非充足・不到達を感じ続ける日々を要求します。そこから始まり、待っているのは慢性的な抑圧。

誤解を怖れずに言えば、はしかみたいなもの。

ただし、はしかも疾患には違いない。生還率は100%では、ない。


目をそらしてはならない。全ての恐怖を凝視し尽くすことが必要なのです。そう、目的達成のために経験すべき全ての恐怖を。

恐怖から逃れる方法は二つ。

可及的遠くまで逃げ、一切の関わりを断つ事。あるいは、その核心部にどっぷりと浸かり、可及的に知り尽くす事。

後者を選べる人間は、その時点で選ばれた者であるとも言えるはず。試練は、それを乗り越えられる者の下にしか振りかかりはしないのです。

ただし、乗り越える、ということは必ずしも精神的健全性を同時に保ったまま、という事を意味しません。

東西の哲学者に晩節を狂いで染めた者が多いのも事実であります。

必要な助けは全て得られる。そう、信じている、と発言することは比較的容易い事。

容易くないのは、理解した通り、信じた通りに肉体を制御する事。

その意味で「頭ではわかっている」などという発言は、厳密に無意味であり、かつ最高度に甘ったれたもの。

わかっているか、いないか。それしかありはしない。


私がすべきなのは、必要とされる事を理解し、その通りに行動すること。それのみです。結果の発生は私のあずかり知らぬ事です。当たり前ですが。

結論として、私は相当程度を超えてうまく務めを果たしている。

ですから、そろそろ、良い事(結果)も生まれてきても不思議はない。生まれなくても、その不思議のなさは全くの同率ではありますが。

そう、多数意見も少数意見もその間違っている可能性は変わらないのと似た感じ。

今夜の散文はまた、久しぶりの奔放さですね。


まあ、そんな日もあるさ。

明日は良い事あるでしょうかね?

それでは、また!