昨夜、届いたばかりの無農薬キャベツを生で食べてみました。
そもそも、スーパー等では見かける事の少ない、結球しきらない最外側の濃い緑色の葉の存在自体も珍しかったのですが、それに塩をつけてかじってみると…。
キャ、キャベツってこんなに苦かったのね!と、少々驚きました。
あの、青汁の原料、ケールと親戚なのが良く理解出来ましたが…。
葉を何枚かはがしてから出てきた、見慣れた色のキャベツ?は、殊更に未熟な部分のみを食していたのですね。
濃い葉の部分は、今朝味噌汁にしました。それでもかなりしっかりとした歯ごたえと、実質的な味わいを感じます。
良く見ると、葉脈等もはっきりと成熟しており、そりゃ確かにこれが植物として健全な姿だよなあ…、と納得しております。
柔らかいはごたえ、甘みの多い味わい等を好み、ことさら幼若なものを好んで食する…。
考えてみれば、かなり、享楽的で身勝手な行為であるとも言えます。
朝の更新にしては、重苦しい書き出しとなってしまいましたね、お早うございます、姫。
でも、圧倒的大多数の人間が、ひとっつも疑問を感じていない事の中に、とっても根源的な誤りが存在する可能性は低くないと思うのです。
人は、いびつな物でも、1,2年もすれば大抵、そして極めて歪んだ物でも、10年、20年と時を経れば、そこにある物がまっすぐに見えてしまう性質を持っていると感じます。
これを100%好意的な側面から表現すれば、順応性・柔軟性と呼ぶのでしょう。
そして、それはヒトが地球上で生き残るためには不可欠の能力でもあるでしょう。
問題はそれを発揮すべき場面を、意図的に際限なく拡大させてきた結果、国民的矜持を失ってきたという面に存するのでしょう。
順応性・柔軟性のない対応はすべて劣った対応であるかのように。
まるで、捜査機関が犯罪事実に対する場合にも、相手を見ながら柔軟に対応を変化させ、犯罪に順応することが正しいと言わんばかりに。
キャベツの葉っぱから、あらぬ方向へ展開してしまいました。
洗濯機が止まりました。干してきます。
それでは、また!