ほんの小さな、でも確かな。 | 司法浪人医師の別荘

司法浪人医師の別荘

自分オリジナルの「使命」を、いい歳こいて!?真剣に探し始めた一人の変わり者の日常を綴る…ための別荘。

2コマ分の講義テープを速聴し、今日の勉強は終わりです。

明朝残り2コマ分をこなして、予想答練に臨みます。

で、タイトル部分ですが…

またしても非常に唐突な書き出しとなります。

人生の目的とは、よろめきながら前進し、倒れてはまたふらつきながら立ち上がり、よろよろとまた前進する。

たったそれだけの事であるはずです。

結果など厳密な意味合いで、どうでも良いのです。

つまり、どうなったとしても、どちらの結果になったとしても、そのどれも、どちらもが「良い」結果なのだという意味合いで。

今日の夕方、勉強再開へ向けて外で体操をしていた時に、お向かいの奥さんと少し立ち話をさせて頂きました。

不思議なシンクロにて、ちょうど私が誰かに伝えたいと感じている内容につき、先方からその思いとして話題が提供されました。従って、私にとって、とても気持ちの良い賛成を表明しながら、共感を得られるという最高の会話による癒しの時間となりました。

ご近所付き合いを「現在の東京」という場では、やや不自然とも思えるほど円滑・良好に行う事ができている今日この頃ですが、本当にありがたい効用があるものです。

そして、実はもう何年も私は精神性・霊性において共鳴しやすい方々に物理的にも近接して暮らしていたんだということが、しみじみとわかったことになります。

私の中にある、自分に対する盲目という瑕疵がひとつ、またひとつと治癒されていきます。日々、変化すなわち前進をしております。

ほんの小さな、でも確かな一歩として。

ちょうど良い時期を測るため、43年間わざわざ気付かせないための装置みたいなものでもあったのでしょう、「盲目」が。

私に与えられている、いくつかの得意分野、それぞれが一見統一性がないために、どう扱ってよいものか迷う事がしばしばありましたが、それも少し統一的に把握できる視点があることにも気付き始めました。

そうか、歌はツールか。そんな感じです。詳細はまだよく見えてませんが。

昨日とは違う自分、少し前進した自分、それを実感しながら生きられるようになってきました。

良い傾向ですね。

それでは、また!