争い事の真相が敗者から語られる機会はない。

いや、正しくは勝者の覇権が浸透するまで敗者は語る事を許されないし、敗者寄りな発言が広まらないようにされるのだ。

争い事のみならず、競争には同じことが言えるだろう。金持ちに金が流れる経済の仕組みが顕著な例だろう。


ここで経済の仕組みについて考えてみよう。
その先の勝ち負けを踏まえるため、大前提としてプロとアマの線引きを決めると、それを行なうことによって生計を維持できるのがプロ。それ以外はアマとする。
よく、金を稼げばプロみたいに言う人がいるけど、宝くじに当たったことがあれば宝くじのプロかと言えばダメだよね?
あくまでも生計を維持できる単業がプロ。親元に住んでたらダメだし親の支援があってもダメだし複数の仕事をして生活してちゃ完全にアウトだよね。もちろん、ローンを組む代わりに親から借りて車や家を買うなら有りだけど。

で、金を稼いだことがあるからプロってのを”自称”と呼ぶことにして、この手の輩は人間的に質が悪い。この自称、大きく分けると二種類なんだけど、実力はあるけど売り方が下手な場合と実力がなくて売り方も下手な場合。

売り方が上手ければ一度は売れちゃうからね。
ここで言う”売れる”ひSNSを含めた友達の数より多くの買い手が付いた事を指すのは言うまでもないよね。その場合は複数の仕事をして何かしらでプロを名乗れる状態になるはずだから、自称とはちょっと違う。自称は何一つとしてプロを名乗る水準を満たさないものだから。

実力もなければ気づくまで放っておくしかないし、否定されがちになるからトーンダウンしていくわけだが、実力がある場合はそれにしがみつくんだよね。だからチャンスにつながるかと与する者は多いんだけど、そこでお山の大将になっちゃう。売り方が下手なくせに大将気取りだからみんなの労力をドブに流しちゃうんだ。

だから離れてく者が多くなる。ま、虚しい人生だよね。お山の大将ってのは大きな山に登ろうとして否定されるのを恐れながら悦に浸ってるものだから芯は臆病なんだ。だから宗教への信心が強かったり心の在り方を説かれるのに弱くて、人にも説くけど説得力がゼロだったり。

「まいったと言わない限り負けじゃない」絶対喧嘩に勝てない者の常套句が口癖になる。