「所得のない人、納税していない人、公的年金を受給している人にも、ひとり1票を平等に投じてもらおう」という理念には、僕も大賛成だ。
ただ、そのことから生じる判断結果のバイアスをどう扱うかという議論抜きには、この問題は語れない。
人は誰しも、負担はできるだけ少なく、受給はできるだけ多く、と考えがちなものだ。
もちろん中には、受給と相応の負担をすべきだと考える人、受給以上の負担を甘受する人もいるだろうが、やっぱり全体としては、受給側にバイアスがかかる。
だからほおっておくと、どうしても「大きな政府」的な意志決定がなされやすくなる。
ましてや、そこに有権者の3割もの「受給だけの人」の意志が加わると、負担に比べてあまりにも大きな受給を求める体制が築かれてしまう。
それでも、どうにかこうにか負担できている間はいい。
負担が限度を超え、将来世代からの前借りが巨大に膨らむ中で、どうやってこのアンバランスに堪えていくのか、あるいは修正していくのか。
そこの部分の議論が、この国には完全に欠落している。