金子城

『別名』
なし

『所在地』
長野県諏訪市中洲3953-2付近

『城主』
千野氏、諏訪頼忠

『遺構』 
なし

『城郭形態』
平城

『駐車場』
なし

『歴史』
金子城は諏訪頼忠の居城だと言われています。
元は大熊城主・千野氏の居館がありましたが天正10(1582)に徳川氏と北条氏の間で起きた『天正壬午の乱』の際に諏訪氏の旧臣・千野昌房が蜂起すると、諏訪頼忠を擁立して諏訪氏再興の為、徳川氏に臣従しました。
その後、諏訪頼忠が金子城を改修して居城としましたが天正18(1590)に起きた豊臣秀吉による小田原征伐の後に徳川家康が関東へ転封となると諏訪頼忠も従い武蔵国・奈良梨へ移った為、金子城は廃城となりました。
尚、金子城の石垣は後に日根野高吉が高島城を築城された際に転用されたと言われいます。

解説板と堀跡と石垣か?

解説板

宮川
霞ヶ城

『別名』
手塚城、手塚屋敷、霞城、山王台

『所在地』
長野県諏訪郡下諏訪町横町木の下3499-1(諏訪大社 下社 秋宮)

『城主』
手塚氏、金刺氏

『遺構』 
曲輪、堀跡か?

『城郭形態』
平山城

『駐車場』
あり

『歴史』
霞ヶ城は治承年間(1177〜1181)に源義仲の家臣・金刺(手塚)光盛によって築城されたと言われいます。
以後、金刺氏代々の居城となりましたが永正15(1518)に諏訪頼満によって攻められ萩倉要害(山吹城)が落城すると武田信虎を頼って甲斐へ落ち延びたと言われいます。

金刺盛澄騎馬像
霞ヶ城は現在、諏訪大社 下社 秋宮の駐車場になっていて金刺盛澄騎馬像があります。

堀跡か?
諏訪大社 下社 秋宮と駐車場の間にある切り通し道だけど、どう見ても堀跡にしか見えないッスな…って感じでした(笑)

解説板

諏訪大社 下社 秋宮・二之鳥居と参道

神楽殿

幣拝殿

御朱印

御神湯

千尋池


御岳城

『別名』
御岳山城

『所在地』
東京都青梅市御岳山176(御嶽神社)

『城主』
不詳

『遺構』 
曲輪、土塁、堀跡

『城郭形態』
山城

『駐車場』
あり

『歴史』
御岳城の城主と歴史については不詳ですが【新編武蔵風土記稿】には、建久2(1191)の秋に畠山重忠は奥州征伐の功によって源頼朝から、この地の領地を賜り築城したと伝えられています。

登山口

ビジターセンター付近にある堀跡と土塁


堀跡


御嶽神社本殿背後にある堀跡

御嶽神社 本殿

御嶽神社 本曲輪から見た眺め

御朱印

畠山重忠公像

御岳平から見た眺め

御岳山駅で売っている山の上レモネード
メッチャ!!美味でした😆👍

ケーブルカー