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産経新聞 12月16日(月)8時0分配信
 平成5年12月16日、田中角栄が75歳で息を引き取って今年で20年になる。尋常高等小学校卒から首相に上り詰めた田中への人気は今も衰えない。日本が抱える多くの課題に、田中の「流儀」は通用するのか。(敬称略)

11月28日昼、東京・永田町の全国町村会館の事務所で開かれた自民党額賀派(平成研究会)の定例総会。約30人の所属議員を前に、会長の額賀福志郎は元首相、田中角栄について語った。

「派閥というのはいろんな人脈を形成して政策の大道を築いていく。そういうことを田中先生を思い出しながら感じた」

額賀派にとって田中はいわば派閥の始祖。「金権政治」と指弾され、ロッキード事件で刑事被告人になったが、首相時代に列島改造論をぶちあげ、日中国交回復を行った田中のキャッチフレーズ「決断と実行」は今も同派の手本とするところだ。

新党大地代表、鈴木宗男は昭和45年、地元の陳情団とともに自民党幹事長だった田中に面会した。鈴木は当時、「北海のヒグマ」とあだ名された衆院議員、中川一郎の秘書で、2年目の駆け出しだった。一行を目に留めるなり田中は、

「わかった、わかった、わかった!」

と、独特のだみ声で連発した。

「われわれ、まだ何とも言ってませんが」。鈴木が返すと、田中は「おお。そうだ。何だ」と大笑いした。

陳情を終え、鈴木が事務所に戻ると、田中から電話が入った。鈴木が出ると「この件よろしく、と署名した紙を渡すから役所にもっていきなさい」。

田中が最も重視し、頼みにしたのは「数」だった。多数派を握ることは政策実現はもとより、政局を自在に動かす力の源だからだ。

選挙での勝利に特にこだわった。若手には地元選挙区を徹底的に回れと指示した。額賀は58年の衆院選出馬にあたって田中から「有権者の3分の2と握手してこい」と厳命され、初当選直後には「2回生になるのがキミらの仕事だ」とハッパをかけられた。

指導内容も細やかだった。集会では「『私なんか手を握ってもらえない』と思っている隅っこのおばあちゃんとだけ握手しろ」。訃報があれば「初七日にも花を出せ」とも。「葬儀は慌ただしくて親族は悲しさがわからない。みんながいなくなって『ああお父ちゃんが死んだんだ』と悲しさを実感する。花はその時に出すんだ」

田中の人の心をつかむすべは「天才的」といわれた。

自民党幹事長の石破茂は「田中イズム」の伝承者を自任する一人だ。

銀行員を辞め、田中派の事務局員時代には「衆議院議員田中角栄」の名刺を手に「田中がよろしくと申しております」と同派所属の地元を駆け回った。

学んだのは「歩いた家の数、握った手の数しか票は出ない」ということだ。自身が初当選した61年の衆院選で、改めて実感した。地元の鳥取県内の5万4千軒を回り、得た票は5万6534だった。

それから四半世紀。昨年の衆院選と今夏の参院選で、石破は「田中派流の選挙に徹すること」を自身に課した。候補者には「おごるな」「一切手抜きは許されない」と口うるさく繰り返した。

■懐の深さ 多くの人が心酔した

元首相、田中角栄は「人情」の人でもあった。

自民党幹事長、石破茂は昭和58年9月に結婚した。仲人を頼みに行くと、田中は即座に言った。

「何を言うんだ。お前にはおやじがいないじゃないか。オレはお前の親代わりとして、お袋さんの横に立ってやりたいんだ」

2年前に亡くなっていた石破の父、二朗は鳥取県知事や参院議員を務め、田中の盟友だった。田中は結婚式に「父親」として出席、びょうぶの前で石破の母と客を一人一人出迎えた。

ロッキード事件をめぐり東京地裁で懲役4年の実刑判決が出る20日前のことで、田中への批判は増幅していた。石破は「田中先生はお金だけで首相になった人ではない。思いやりや懐の深さがあったからこそ心酔する人がいっぱいいた」と振り返る。

平成23年の東日本大震災後、「もし田中ありせば」とメディアで注目が集まったことがある。民主党政権の対応は後手続き。被災地はもちろん、日本全体がいらだちに包まれていた。

石破は言う。「田中先生ならば直後に被災者が何を望んでいるかを素早く見抜き2割増し、3割増しで実現しただろう。そして恐ろしく批判され、真の評価は後世に委ねられたのではないか」
最終更新:12月16日(月)12時41分
ここに書いてあることが事実かどうかわからないが
人を引き付けるカリスマ性がダントツだったのではないかとは想像できる

まぁ・・・晩年は残念な結果に終わったわけだが・・・
いくら人情を説いたとしても理解できない・しない人もいて
金の臭いだけでいい顔をする人も寄ってきますからねぇ
それらに足をすくわれた可能性も否定できない訳で
それを抑えきれなくなったと感じた時点で
見切りをつけるべきだったのでしょうが
判断を見誤ったのかもしれませんね