賀正。2017年のチャレンジ調整中。 | ぶるーじょーのブログ ヒマラヤへ直球勝負

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フリーター。25歳。ヒマラヤの8000m峰14座を酸素ボンベなしの単独で登るのが夢です。自然で学んだこと、素敵な人との出会いを通して生きる想いを伝えたい。

 

明けましておめでとうございます。

 

みなさんよいお正月を迎えておいででしょうか。

 

今年もちょくちょく更新していきたいと思っていますので、不束ながらこのブログならびにぶるーじょーの挑戦を見守っていただけると、心から幸いです。

 

今年は、再びヒマラヤに戻る決断をし、そのための準備から入り、挑戦後には海外の寿司店で仕事を見つけながら再び登山をしていこうと計画している。

 

昨年の12月、上司にも辞めることをしっかり話し、今月の20日を最終日として、今の店を辞めることになった。

 

親父や、お世話になった前の店の店長にも相談したが、どちらにも「嘘も方便だから、山行くとか言わないで何かしら(例えば父が体調不良だから地元に戻るなど)理由をつけてやめなさい」と諭された話は以前しただろうか。

 

相談した手前お二方には悪かったが、結局、何度も考えた結果そのまま正直に話すことにした。

 

私はバカ正直だからうまい嘘をついたとしても挙動ですぐにばれるだろうし、もう他人から何を言われようと自分にだけは素直に行きたかった。器用な生き方は向いていないような気がした。

 

その結果、もしお世話になった板前さんに嫌われようと、嫌な思いをさせてしまおうと、それはそれで受け入れようと覚悟したのだが、これが自分の予想だにしない結果になった。

 

バカ正直にヒマラヤに行くと話した板前さんの多くが、応援してくれたのである。たぶん愛想を尽かされると思っていたので、驚いた。

 

私が尊敬している板前さんには、「いなくなるのは残念だけど、そうやって自分のやりたいことがあるのは素敵なことだから、頑張ってきなさい」と言っていただいてうれしかった。

 

「そのかわり死ぬなよ。」と。

 

 

まだ、ネパールの会社と実際に許可証料や実際の日程について正式に合意する段階でもないのだが、自分の今回のヒマラヤでの登る山とルートが大まかに決定したので、簡単に書きたい。(詳細はまた後日)

 

まず、最大の目標はネパール国内、アマダブラム(6856m)のバリエーション、西壁ルートをソロで登攀し、そののちノーマルルートから下降する登山。


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そしてそのために私が2015年にもアンナプルナサーキットで肉眼で見たことのあるティリチョピーク(7134m)に事前に登頂して高度順応を行う。

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この2つが今回の主軸になると思う。期間は十分にとり、3月上旬から5月いっぱいとする予定だ。

 

なぜアマダブラムかというと、まずその美しい山容にある。シェルパ語で「母の首飾り」という名で、両脇の急峻な尾根が主峰と青空を丸ごと包み込むようなかたちから、こう名付けられたと言われている。

 

そして西壁ルートは、若き日の山野井泰史さんが、ほぼフリーソロで厳冬期に登ったことが私の記憶に強く焼き付いていたから。西壁は平均斜度60度と、以前単独で登ったロブソンのケイン氷壁と同じくらいで、高低差1200mの岩と氷のミックス壁で構成されている。

 

高低差だけでもロブソンの4倍、さらにところによっては垂壁に近いところもある。私は最小限の装備で短期速攻で行くつもりなので、ルートファインディングはとにかく気を付けていく。予定登山期間(BCまでの移動は除く)は1週間。

 

高度順応に選んだティリチョピークは、もしかしたら変更になる可能性もあるが、肉眼で見ているというのが大きい。マナンという標高3500mの村から3~4日の距離にあるティリチョレイクという湖のそばにあり、自然豊かなネパールでも秘境と呼ばれている場所である。

 

ほぼ陸路で行けると踏んでいるし、以前話に聞いてから、ぜひ次回には行ってみようと思っていた湖の麓にあるため、個人的にベストと考えた。肝心のルートも写真で見た感じではそこそこの難易度に感じる。予定登山期間は2週間前後。

 

この2つに移動の日数をあわせても2か月はかからないと思うが、もし予定より早く終わった場合は、現地でほかの山を登る手はずを整えることも考えている。

 

そして、もう一つやりたいことがある。それは、もう一度アンナプルナサーキットを歩き、マルファという村からダウラギリBCに上がることだ。

 

2018年の4~5月の期間に、必ずもう一度ダウラギリに無酸素で登りに行く。

 

そのためのルートを事前に確認したのちに、昨年行方不明になった友人、クリスティアンの消えたルートを辿ってベニまで降りようと思っている。彼が見つかると思っているわけではないが、彼を想ってそこを通りたい。

 

大まかな計画は以上のとおりで、ほぼ決まっているが、ここからの費用を最小限に抑えることや、日本での体、登山の最終調整など、やることも多くあるので、20日以降どんどん更新していこうと思っている。

 

繰り返しになりますが、今年もなにとぞよろしくお願いします。