息子が勉強に集中出来るように環境を整えようと必死だった。
親が声掛けしなければ
親が誘導しなければ
そう思っていた。
中学生の時、塾に入ると決めたのも
高校受験直前になって勉強しなくなった時も
息子自身で考え
息子自身で解決するべきなのに
私一人で、空回りしていた。
なぜ空回りしていたのか?
それは、息子の望みでは無いからだった。
私がやっていたのは
【見守りではなく、見張り】
息子が頑張る以上に
親が頑張ってしまった。
部屋を覗いては、宿題終わったのか確認したり
スマホばかり見ているんだったら、もう寝なさいと言ってみたり。
その時は必死で、周りがよく見えていなかった。
周りが見えていない、と言うより
全く自分を俯瞰して見れていなかった、と言う方が正しいかもしれない。
もし
これが、今私の職場で私の身に起こったとしたら、どうだろう。
「あの書類もう書けたの?」
「そっちの仕事やるんじゃなくて、先にこっちでしょう!」
「早くこれ仕上げて」
見守りではなくて、ずっと見張られていたら?
毎日が恐ろしくて、仕事なんて出来そうもない。
見守りとは、本人の考えを尊重しその行いを認める事だと思う。
見張りとは、本人の一挙手一投足をつぶさに観察する事で、本人の考えを尊重する行為では無い。
私は完全に取り違えていた。
