今日は、アムウェイについて熱く語っちゃいますよ

アクセス解析で検索キーワードを見てみるとアムウェイでの検索が多いので、僕の感想も交えてお話し致しますね(^_^)v
アムウェイとは
アムウェイは1959年にミシガン州第二の都市、グランドラピッズ市の隣にあるエイダという静かな街で誕生しました。
わずか50年の間に世界58の国と地域に広まり、9000億円以上の売上高を誇る
米国最大の経済団体、全米商工会議所の会頭に親子2代で就任
1979年、創立者の一人、ジェイが全米商工会議所の会頭に就任しました。全米商工会議所とは、全米300万事業所を代表する民間経済団体です。
1912年に誕生し、長い歴史と大きな影響力を持っています。
そして、2001年。ジェイの息子であり、現在のアムウェイの共同経営者であるスティーブも同じく全米商工会議所の会頭に就任しました。
親子2代で一大民間団体の会頭を務めたという経歴は非常に珍しいことです。
うーん。
改めて、見てみるとやっぱりすごいですね!
では、次に日本アムウェイです。
アムウェイは1977年に日本アムウェイを設立。
2年間の準備期間を経て1979年に営業を開始しました。
あの中島薫氏がアムウェイに参加したのが1982年。
実は1979年から1984年の間で爆発的にアムウェイが広がったと言われています。
そしてアムウェイが1,000億円の売上に達したのが1991年。
その後もぐんぐん伸びていき、アムウェイのピークは1997年度。
なんと、およそ2,122億円の売上を達成してます。
そして、次が伝説の中島薫氏です。
アムウェイはアメリカのミシガン州エイダという田舎町で産まれましたが
その日本法人である『日本アムウェイ』の
ディストリビューターである一人の男性が
世界約60ヶ国でビジネスを展開するアムウェイの頂点に立ちました。
その男性が『中島 薫』氏なのです。
中島 薫 氏は元々、『グッバイ モーニング』という曲で
コンテスト『世界歌謡祭』にてグランプリを受賞し、
作曲家で将来を約束された方だったそうですが
その作曲家人生を全て投げ打ってアムウェイビジネスをスタートしたそうです。
そして、最短記録(なんと!わずか5年)でアムウェイ社の最高ランクである
『クラウン・アンバサダー(CA)DD』を達成。
そして、世界のアムウェイで初の
『ファウンダーズ クラウン・アンバサダー(FCA)』を達成。
更にはアムウェイ界 前人未到の
クラウン・アンバサダーを二回達成する
『ダブル クラウン・アンバサダー(DCA)』
というランクを達成と同時に自ら創り出してしまいました。
その際に日本アムウェイから等々力渓谷に、自宅をプレゼントされたそうです。
中島 薫 氏の自宅は有名・著名人が訪れるだけでなく、
テレビドラマや雑誌などで取り上げられるほどの豪邸ですが、アムウェイの会員の方からはそれでも足らない程の偉業だと、不満が漏れていたというお話もあります。
そして、気になる中島 薫 さんの年収は、10億円を軽く超えるであろうと言われて居ます

そして、中島 薫 氏はアムウェイ以外にも
中島氏のオリジナルグッズを扱う『ヘッケル』など、事業を展開しており、その年収は未知数だというお話もあります。
ヘッケルのように、オリジナルグッズの会社が運営出来ているという事は、中島 薫 氏のファンが多いということですね。
中島薫 氏がAmway社と別に主催するセミナー(ラリー)などもあり、会場は日本武道館や横浜アリーナ、ベイNKホールなど規模が違います。
ここまで来るとファンというか『中島薫 教』信者という感じに見えてしまう方もいらっしゃるようです。(さすが、すごい影響力ですね!)
ここまでの成功を収められた中島薫 氏ですが
中島 氏の記録を超える方はこれから出てくるのでしょうか?
これはあくまでも私個人の見解ですが、今後中島薫 氏を超えるような人は出てこないでしょうね

中島薫 氏がこれだけ大成功したのは、アムウェイに参加したタイミングが良かったのも当然ですが、これだけ情報が氾濫している時代にこれ以上の成功は難しいのではと思ってしまいます。
お次は中島薫氏とともにアムウェイを支えるトップリーダーの方達です。
ネットワークビジネスを代表するといってもいい企業にまで、成長したアムウェイですが、数多くの成功者を輩出しています。
その成功者の中でも抜きん出たカリスマ性を持っているのが、山崎拓巳さんでしょう。
山崎拓巳さんは、広島大学在学中、若干20歳でアムウェイのビジネスを始めて、あっという間に成功者の仲間入りをしたことで知られています。
(昔は20歳以上であれば、学生でもOKだったみたいです)
タイトルの殆どを最年少で達成され、学生時代で年収1500万円稼いでいたなんて話も聞きますね。
また、山崎拓巳さんはアムウェイのビジネス活動以外にも、これまで18冊もの書籍を出版されていたり、海外でも絵画の個展を開いたりとマルチな才能を持ち合わせておられるようですね!!
最近はフランスでも大きなグループを作られているみたいです!
お次は、もう一人の「山崎」
山崎義幸さんは現在50歳ですがアムウェイを始めたのは
大学時代だそうです。(横浜国立大学!)
大学時代にしっかりとリクルートを行い組織を構築。
そのまま順調に組織を伸ばして今では上位タイトルの一つである、クラウン・アンバサダーまで獲得しています。
この上にはFCAしかありませんから、山崎義幸さんはアムウェイでも指折りの成功者だと言えるでしょう。
山崎義幸さんは会社経営者としても成功しており、アムウェイの年収とあわせるととんでもない年収になるでしょうね。
山崎義幸さんはその経歴からもアムウェイ会員でファンが多く、憧れている人もかなりいるのではないかと思います。(ちなみに僕もファンです!)
お次は、北紺守彦氏です。
北紺守彦氏もクラウンアンバサダー(CA)というタイトルを獲得しており、その年収は1億円を突破しているともいわれていますね。
年収もすごいのですが、僕自身見て驚いたのが、カリスマのオーラが漂う若々しい見た目です。
1963年生まれですから年齢は49歳。
本当に信じられません!!

北紺守彦氏は元サーファーでも有名で、日焼けしたボディーに鍛え上げられた肉体美。
誰もが羨むプロポーションです。
北紺守彦氏はそのようなことからファッション雑誌の、Safariで特集を組まれた事もあります。
Safariはハリウッドスターが多く出ている雑誌ですから、その中に北紺守彦氏が登場するのはとてもスゴイですね。
まだまだ、多くの成功者がいますが、キリがないので、この辺で

この3名に共通しているのが、職歴がほぼアムウェイのみという点です。
(北紺さんは元美容師ですが)
それもそのはず、3人ともサインアップが20歳そこそこですからね!
たった一度の人生で、これだけの成功を納め、自由なライフスタイルを送れるって本当に素敵だと思います。
これも、アムウェイとの出会い、中島薫さんとの出会いなんでしょうね!
しかも、出会うタイミングも最高ですね。
いくらこの3名でも、10年遅く出会っていたら、間違いなく「クラウン・アンバサダー」は達成できていないはずですから。
1995年以降に登録した方で、C・Aを達成された方は現在いませんからね

とはいえ、多くの成功者を生み出している素晴らしい会社ですね

本日もお読みいただきありがとうございました
