初級のテキストに書いてあった、
「当たり前は認識できない」
というフレーズ。
それを実感したのが初級です。
母に関して言えば、
高校から社会人になってからもお弁当を作ってくれました。
あんなに忙しい母なのに、
冷凍食品はいっさい使わず、
全部手作りでした。
高校の時は、一緒にお弁当を食べる友達に、
「弥生のお弁当はいつも美味しそうだね」
と言われたものです。
当時は、母がお弁当を作るのが当たり前になっていたので、
特に何も感じなかったのです。
日常的な当たり前とも思える行動が
本物の無償の愛とも知らずに・・・。
また、
母の生き方を否定していたとき、
「お母さんは生きていて何が楽しいの?」
と聞いたことがあります。
母は決まって、
「三人娘を産んだこと。それが一番幸せ」
と答えました。
母は4人兄弟で、母以外は男兄弟だったので、
姉妹が欲しい、と ず~っと思っていたのです。
だから、産むなら絶対女の子で、
一緒に買い物に行ったり、おしゃべりしたりしたい。
長年の望みが叶って幸せだというのです。
それを聞いて当時私が思ったことは・・・
・・・それだけ??他にないの?
新しい文化に触れるとか、自己成長とか・・・
いま思えば、大馬鹿ヤロウ!!
の私です。母が私に言ったこと、したこと、
全てが愛でしかなかったのに、
私の「愛」の定義がずれていたために、
当たり前の中にある
愛に気づくことができなかった・・・

そう思うと、心から母に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
そして、
人生で初めて、母に謝りました。
どんなワークよりすっきりしたのを覚えています。
この出来事をきっかけに
周りの変化を体感するようになりました。
(つづく・・・)