指定校推薦が蔓延し、名門私立大学に

かつてのレベルの高さを維持できなく

なっているところが出ているようです。

 

私が住む関西でも、推薦入学の枠を増やし

過ぎたために、わざわざ一般入試を苦労

してまで入るほどの価値がなくなり、阪大

などの国立大のすべり止めにすらされなく

なってしまったような私学があります。

 

推薦入学は、学校経営という観点では、

入学者確保のほか、内容によっては寄付金

などを募ったりすることでお金も入るので

経営上は有利と言えるのかもしれません。

 

しかし、正当な努力とは無縁で、競争原理が

働かない環境での内輪受けで合格を決める

制度ですから、客観的な人物評価ができない

ものといえます。

 

だからといって、一般入試は難関が多く、

近年は首都圏などの私立も入学試験が難しい

ところは本当に難しいようです。ですから、

競争を避けるために楽な手段に出ようとする

心理も理解できないわけではありません。

 

入学試験が難しく、かつ歪な設問ばかり出す

ようになりますと、そのための勉強は真理の

探求といった本当の意味での学問ではなく、

無意味な苦行を強いられることになります。

 

学歴が立派でも本当の意味で知性があるとは

限らないのは、入試制度にも問題があるとは

思います。思春期の多感な時期に、いびつな

内容のテストばかりやらされ、その点数で、

優劣がつくような刷り込みをされるわけです。

 

そして学校を出て、いい歳した大人になっても

その価値観から抜けられない人がいるのです。

 

そして、そのいびつな価値観が、資格試験まで

持ち込まれることもあります。難しい試験に

通らないとなれない職業なのに、不可解な言動

をする「先生」がいたりします。

 

そして、一部の資格は、職歴などで優遇したり、

専門教育機関での点数稼ぎを奨励することも

実際あるのです。