自分は賢い人かというと、決してそんなことは

ないでしょう。

 

ですから、そこは謙虚になり、これから齢を

とれば、若くて優秀な人から見聞を教わる事も

ふえるでしょう。そのような気風がないと、

時代や社会の変化についていけなくなります。

 

若いころ、入るのが難しい学校を志望しては

いましたが、結局叶いませんでした。これも

私が「たいして優秀ではない」ことを受け入れ

ざるをえない「動かし難い事実」となります。

 

しかし、地元のある国立大は、多浪してまで

合格しています。気に入らないことが色々

あったため、基礎学力が怪しいとされても

仕方ない、私立文系という学歴に収まります。

 

そこが気に入らないのは、田舎秀才が多いと

判断したからでした。地元で偉そうにできても

東京にでもいけば、そんな態度はとれません。

関西から見ても、やはり東京は、優秀な人が

国内外から集まってくるからです。

 

たしかにその学校出身者には、優秀な業績を

あげたり、人格も高潔であったり、頭のいい、

素晴らしい方がいます。

 

しかし、その大半は、社会のしつけもろくに

出来ていないような、お勉強しかできない

連中ばかりなのです。

 

連中は、地元ではエリートですから、そこの

有力企業や役所に就職することも多く、その

世間では偉そうにできるでしょう。私もそこに

行っておけば、そのようなキャリアを歩めた

期待はあったかもしれませんが、性格のほか、

縁故がないことなども考えれば、運がよいか、

権謀術数を巡らさない限り、うまくはやって

いけないでしょう。

 

じつは、その学校を出た、大阪でいうところの

まったく「おもんない」芸人がいます。

その学校を出ただけが取柄で、有能な相棒の

お蔭で出世したようなところがあります。

 

それは、私が抱く、その学校の悪しきイメージ

そのものです。

 

田舎秀才は、頭脳以上に、その縁故や血縁、

学歴などの「つながり」によって跋扈する

ところがあります。それが嫌だから、俗称で

最高学府と呼ばれたところを目指し、叶わな

かったわけです。