「“諦めない”を諦めない」
“諦めない”を諦めない、とは何ともややこしい表現なのだが、この言葉をふと思い勇気が湧いた時がある。
2009年12月暮れ。
失意と怒りが入り混じった言い表せない感情を抱え、年末でざわつく雑踏の人混みをよけながら足早に歩いていた。
15分前。僕は弁護士事務所の商談室にいた。
目の前には司法書士の若い女性と対峙していた。
「どうしても、任意整理以外に方法はありませんか?」
「田中様の場合、それ以外に方法はありません」
「でも、それをすると自宅は手放すしかないんですよね?」
「はい。もう一度、イチからやり直してみてはいかがでしょう?」
「手放さずに済む方法はないんですか?」
「今の状況ですとありません」
「わかりました。もう結構です」
子供たちにとっての絶対安全基地であるマイホームを手放さない方法を探すために、最後の望みをかけて弁護士事務所の扉を叩いたのだが、対応してくれた司法書士は「任意整理」一択しかないと言い切った。
話を詳しく聞くでもなく、借金の状況だけをすこぶる客観的に見られて「任意整理」という言葉が発せられるのに、数秒と時間を要さなかった。予め、「任意整理」か「自己破産」しか回答を用意してきていなかった、いや、それ以外の解決策はあっても提示しないといった様子に感じられた。
「もしかしたら、弁護士であれば親身に話を聞いてくれ、法的な立場からギリギリの解決策を味方として一緒に考えてくれるのではないか」と淡い期待を抱いて訪問したのだが、そんな期待はのっけから崩れ去った。
まぁ、今思えば相手だってビジネスだ。
金のない相手にどんなに親身になっても実入りは高が知れている。時間や労力を顧客とは呼び難い顧客に費やしてあげられるほど暇ではない。そうした時間や労力は規定以上の報酬を見込める優良顧客に費やすほうが生産的である。
彼女だって雇われの身。下手に親身になって同情してあげても、会社を訪ねてきたクライアントである以上、ボランティアでやるわけにはいかないのだ。
それぐらいのことはわかっていたのだが、もうちょっと話に耳を傾けてくれてもいいじゃないか、という憤りを抑えることはできなかった。
法律事務所を出て、大通りに入った。
家を失う失意よりも、司法書士の対応への怒りのほうが大きかった。
通行人をよけながら足早に歩きながら、「これからどうする?本当に家を手放すのか?」と自問していた。
「別の弁護士事務所を訪ねてみようか? いや、彼らにとって自分みたいな金にならない相談者は雑務と同じ。どうせまた「任意整理しかない」と言われるだけだ。どうする?どうする?」
どんなに一人で考えても解決策など出てこないことも十分承知なのだが、それでも行き詰まったときには堂々巡りで考え続けるほかには仕方がない。
「諦めるしかないのか」そう自分の中でも結論に達し、子供たちの絶対安全基地であるマイホームを手放すことを決断しようとしたそのとき、「諦めるのか?」という心の声が聞こえてきた。
「本当に諦めるのか? それでいいのか? 本当はどうしたい?」
その声を頭でもはっきりと認識したとき、「本当は諦めたくない」という至極シンプルな気持ちに気づくことができた。
「最終的には司法書士が言うように任意整理をして自宅を手放すかもないかもしれない。それでも、最後の最後まで諦めない。法の力によって強制的に奪われることになったとしても、“諦めない”という気持ちだけでも諦めたくはない」
そう覚悟したとき、ふと気持ちが軽くなり、勇気が湧いてきた。
自宅が差し押さえられるか否かの主導権は相手にあってやむを得ずだが、諦めるか否かの主導権は誰にも渡さない。意思や感情の主導権はどんなときにも自分自身で握り続けることができるのだ。
結果的に、僕が固執してきた自宅は2012年1月に手放すことに決めた。
それまでの2年間、「諦めない」ただそれだけの想いで何とか差し押さえられることもなく維持することができたのだ。
最終的に、僕にその決断をさせてくれたのは、債権会社の担当男性であった。
今月支払うべきの40万円に10万円不足していた期限日に、電話ではなく直接会社を訪ね相談したことが幸いした。
事情を親身に聞いてくれた担当者は、
「お気持ちは十分にわかりました。私にも家族がおりますから、田中さんの立場でしたらやはり何とか維持したいと必死になると思います。こうして来社いただき筋を通しに来てくださっている田中さんに、私も債権者としての立場は一旦脇に置いて第三者の立場として客観的な意見を申し上げます。
この2年間、度々の遅延はあっても今回の分を除いては全額お支払いくださっています。お仕事が軌道に乗り始めたということでしょう。だからこそ、ご自宅は一度手放すべきだと思います。
今は、ご自宅を守るための支払いが、田中さんの足かせになっているように見えますから、先ずは今の身の丈にあった家賃のお住まいに引っ越されて、少しでも負担を軽くした上で、お仕事が完全に安定してからもう一度マイホームをご購入されたほうが、ご家族も幸せになれるのではないかと思います。
田中さんは十分に頑張られましたから、その頑張って稼がれたお金を借金の返済にではなく、ご家族やお仕事のために使うご決断を、私個人としてはおすすめいたします」
僕の想いや家族のことに心から同情してくれた上で、そう助言してくれた。
その男性の話を聞きながら、僕は「自宅を手放す」ということを許せる心境に移り変わっていった。
聞き終えた時、僕は無意識のうちにこう呟いていた。
「これでやっと、真っ当な商売ができます……」
自分が発した言葉を自分の耳で聞いたとき、見て見ぬ振りをしてきた自分の本音を知ることができた。
自宅を競売にかけ、借金を半分に減らし、残りは返していくことに決めた。
その年の9月、高取宗茂さんと出会うことになる。翌年の1月に買い手が見つかり自宅を引き払って家を出た。
もっと早くに楽になることもできたが、すべてのプロセスにおけるその時々に下した決断には、微塵の悔いもない。
“諦めない”を貫き通したからこそ得られた学びは、すべて今に役立っている。
どんな成功体験も失敗体験も、その一瞬一瞬の学びが、僕にとっては掛け替えのない貴重な教訓なのである。
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ちょっとリヤカー1年目と2年目とで弾き出されるデータが興味深い。
【1対1の積み重ねと、講演会の積み重ねと、どちらがより多く本が売れるのか?】
リヤカー2年目となる今年は、「リヤカーを引くよりも講演会を多くする」という目標を掲げ、実際、講演会の数も規模も、1年目よりも飛躍的に増えた。
その結果、講演会総動員数は1年目の1,000名弱に対し、2年目は4,000名超と格段にアップ。当然、反比例して歩行距離は1年目が3,022kmだったのに対して、2年目は1,660kmと1,300km近くのダウン。
ここまでは予定通り。
ところが、本の売れ行きはどうだったかと言うと、1年目の9,064冊に対して、2年目1,648冊と約7,500冊もの大幅ダウン。
3年目に取るべき優先順位は、「1対1」か「1対多」かが明確になった。
一見、非効率で予測が立たない王道にこそ、算盤では弾けぬ結果があるものです。学びの2年目でありました。
今年のラスト講演終了しました。
2時間のご静聴ありがとうございました。
1時間半と言われてましたが、2時間もご静聴いただきありがとうございました。
ご担当の先生がお流石でありまして、予定より30分前倒しで舞台に上げてくださいまして、30分オーバーで喋ったのにオンタイムで終わるという。
僕は本当に他人様の機転に甘えて生かされておりますな。有り難いことです。
高校生の子を持つお母様方が大半でしたので、僕の人生でもトップ5に入るウルトラCの高校受験、大学受験エピーソードから自己紹介も兼ねてお話させてもらいましたが、
そういえば、この集まりはPTAでした…((¯m¯٥)))
そんなわけで、30分オーバーになったわけですが、表題でいただいておりました『GIFT ~自分のためには頑張れないが、何かのためなら頑張れる』については、時間の都合上、割愛。。。
西都市PTAの皆様、今日はありがとうございました!
合掌。
本日、東京に引き上げです。
今年3月の出雲出発から仙台まで1,660km。
2年間での総距離4,682km。
手売り販売部数10,586冊。
よく歩き、よく売れた。
いわき市の梶川 由喜さんからのご紹介で、知覧で一度だけご縁のあった名倉 愛さんの会社で我が相棒リザスト号は3ヶ月間の冬季休業に入ります。
愛さんの会社でいろいろ話していると、笑うしかないほどの共通点の多さにビックリ。次回、ソウルメイトの盃を酌み交わすしかないなw
スタッフの皆さんや偶然遊びに来ていた愛さんの親友内海陽子さんのステキエネルギーに取り囲まれ、かっちゃん、今年一番の笑顔でリヤカー終了でありますwww
その後、みやざき中央新聞さんの記事ご縁で、鍼灸整体師の佐々木 伸之先生にゴッドハンドな治療をいただきまして、オフィスシェアしているRyoko Hoshiyamaさんとのご縁にも恵まれまして、りょーこさんとは共通の知人も多く、仙台、これまた深いご縁に恵まれそうです(^^)
ラストは、佐々木先生とのヤローサシ飲み。
佐々木先生の過去や治療家を志したキッカケ、下積み時代の苦難やこれからの想いやビジョンをお聴きし、熱い夜を過ごさせていただきました(。-人-。)
熱いと言えば、仙台寒いですw
昨日は初雪だったらしい。歯がガチガチ震えたもんね。それでも、地元の方に言わせたら「ようやく寒くなってきたかなぁ?」ぐらいらしいw
だいたい、みんな薄着だし。長崎出身からしたら信じられん。仙台でリヤカー止めてよかったー。
たった1日の滞在でご縁の広がりをビシバシ感じ入り、3月の再出発前にもいわき市と仙台市ラインは何度も遊びに来たい町。
さて、12月はフルスケジュールですが、1月2月は哀しいかなスッカラカンなので、ビンボー暇なしの予定を組んでいかねば。
明日は、縁深き南国宮崎入りし、明後日今年最後の講演会であります。喋るぞーぃ!











