映画『ホイットニー・ヒューストン』彼女は本当に不幸な最期だったのか? | ファンマーケティングで1人起業家が年商3000万円になる方法 〜コミュニティビジネスからビジネス設計、出版ブランディングまで〜

ファンマーケティングで1人起業家が年商3000万円になる方法 〜コミュニティビジネスからビジネス設計、出版ブランディングまで〜

悦る商人“たなかつ”こと田中克成が、ファンマーケティングを活用して8ケタの商売を連続して起業するための『教え』を綴ってます。自分サイズの小さなコミュニティからはじめて、ファンを応援し、応援され、応援し合うコミュニティビジネスのはじめ方・考え方。

昨日、映画『ホイットニー・ヒューストン』を観てきました。48歳という若さで亡くなったホイットニーの人生は、波乱万丈に満ちた物語でした。



彼女は若くしてビートルズやエルビス・プレスリーの記録を塗り替える全米史上最高のシンガーとなりましたが、その光の強さ故か、TVで報じられる以上に彼女に付きまとった影も強かったようです。



ホイットニーの死因は、入浴中のドラッグ使用による心臓発作と溺死とあります。グラミー賞に出席するために前入りしたホテルでの事故でした。(これは知っておいて観たほうが映画のラストの意味が繋がります)



晩年は、彼女が全盛期のような音域が出ないことをファンたちも落胆し、本人もそのことに悩み苦しんでいたようです。死亡当日、(グラミー賞の)今夜の前夜祭で「最高の歌声を披露する」と周囲に話していましたが、出席することなく浴室での死亡が確認されました。



そんな彼女の一生を描いた映画のつくりは、とっても悲劇的だったわけですが、それって本当か?と疑問を抱いたので、今日はそのことについて綴りたいと思います。



まずはじめに、決して薬物を肯定する考察ではないっす。

そうした社会的な善悪は離れて、ホイットニー・ヒューストン自身の最期に思いを馳せてみると、映画で描かれたように彼女が悲観の中で亡くなったのかと言うと、ちょっと疑問です。



スーパースターのプレッシャーや世間の賛否だけでなく、金の亡者だったダメ父親や、ダメ夫のボビー・ブラウンの家庭内暴力や浮気癖に悩まされた晩年は、相当苦しかったでしょうから、最後ぐらいステキな夢を見て悦りながら逝ってて欲しいという僕の希望も含みますが、



最期は、前夜祭で過去最高の歌声を披露することをイメージしながら、温かいお風呂に浸かり薬でハイになっての心臓発作なので、普通に考えても最期の最後はhappyに逝けたんじゃないかな?と想像できます。



人々が感動したり納得する脚本的な美しさと、実際は大きく異なりますから、不遇の死を遂げたというのは、この世に残った人たちの勝手な見方であって、本人がそう感じたかどうかは定かではありません。



僕は、見た目がどんなに無惨な最期であったとしても、最期の最後の一瞬で悦れたら人生は勝ちだと思ってます。(僕は魂が抜けるそのラスト0.1秒は絶対に悦って、穏やかに逝ってやろうと決めてます)



夫だったボビー・ブラウンは、元妻に続き、彼女との間に生まれた愛娘も、22歳という若さでドラッグで亡くすという不運を体験することになります。



さらに、ホイットニーと結婚する前に付き合っていた元カノとの間に生まれていた息子も、28歳で薬物の過剰摂取で亡くなっています。



ボビーは、今もそうした様々な試練を乗り越えている真っ最中で、ホイットニーや娘や息子よりも、多くの悲しみや苦しみを享受しなければならない宿命にあるようです。



生き残ることが幸せとは限らないし、死ぬことが不幸というのもおかしな定義です。だって人は必ず死ぬわけですから、最後が不幸じゃ希望もへったくれもないですよね。



僕の自己啓発書の1作目で記した成功のバイオリズムでは、次のステージに上がる前に必ず過渡期という、一見やることなすことうまくいかない不運続きの時期があります。



しかし、この時期は確かに辛いですが、最後には必ずそれらを受容して、人生の目的に立ち返り、次のステージへとブレイクスルーしていきます。



そのステージの入れ替わりが今世と来世の繋ぎ目だったとしたら、今世に残される人からの視点と、来世にブレイクスルーする人との視点は随分と違います。



人の様々な死に際を、自業自得と捉えるか、悲劇と捉えるか、見方は人によって異なると思いますが、実際には、本人にしか分からないことなので、残される側に真実は永久に明かされません。



少し前に、安倍元総理が銃弾に倒れましたが、難病を抱えながら歴代連続最長記録を塗り替えるほどの長期政権を築き、他の立候補者の選挙を大勢の支持者を前に全力で応援演説中に、ワケもわからないままに痛みも感じずに、「総理がんばれ!」の大合唱の中で最期を迎える。



事件としては痛ましい事件でしたが、個人としては、本当に無念だったのか?そこは正直、疑問符です。僕の正直な感想は、命懸けで国益のために尽力した安倍総理への神様からのプレゼントだなと思いました。



人の最期からどんな感情を想像するか。それって人それぞれだと思うんですが、そのまま自分の最期のイメージにも直結してると思うんです。



その人がどんな半生であれ、ドラッグ中毒であっても、殺人者であっても、あるいは被害者であっても、僕はやっぱり、誰もが最期は幸せに逝っていて欲しいと思っています。



それが、僕の生き方になるであろうからです。



【肉体から魂が抜ける瞬間】



僕のこだわりは、この一瞬。



その一瞬の幸せや穏やかさのために、ある日突然やってくる最期の一瞬を迎え入れられるように「今」を存分に悦って生きたいなぁと思います。






追伸:

今日はオカンの東京滞在最終日。

朝のclubhouseで一緒にルームやってる渡辺そらさんに急きょ来てもらって、横浜をアテンドしてもらいました!多謝