
よく「自分探しの旅の途中ですか?」と聞かれる。
僕の答えは決まって「ノー」で、「自分探しはしていません」と答える。
「自分探しの旅」というと、この旅の意味は美しく、純粋なものとして聴こえは良くなるかもしれない。
『道に迷う若者へ』の一章にはこう記されている。
【自分探しの「人生を変える旅」から帰って、彼の生活は、さらに荒んだものになった。
人生は、日々の積み重ねの延長線上にある。だから、簡単には変わらない。
(中略)
それでも俺は、彼が間違っているとは思っていない。
彼には彼の人生が流れ、この貴重な経験はいつか、かけがえのない教訓として彼に何かを教えてくれる。ただその真実は、わざわざ満天の星空を体験しなくても学べた】
「自分探しの旅」は日常の中にこそあると思う。朝起きて、メシを喰い、いつも通りに働き、帰って来て風呂に入って寝る。
そのいつも通りの日常の中に、嬉々とする日もあれば、憂鬱な日も、不条理に苛立つ日もある。
幸せになりたい、と誰もが願いながらも、大筋では昨日と同じ一日という時間を過ごしながらも、一定に定まらない感情に振り回される毎日。
「本当は何がしたいのか?」
「自分が生まれてきた意味は何か?」
そう自問自答し、出口の見当たらない問答にもがき苦しむ中でこそ、少しずつ、「本当の自分」というものに出逢っていくのだと思う。
旅をすれば、より早く、より効率的に「本当の自分」というものに出逢えるというのはまったくの幻想で、
出逢う人、行き交う光景、毎日が異なる非日常が日常になる世界の中でなど、「本当の自分」なんてものには余計に出逢い辛くなるばかりだ。
それどころか、制限のない自由の中での自分探しなど、帰る場所も分からなくなるほど「本当の自分」とはかけ離れていかざるを得ない。
僕のこの旅の目的は、「自分探し」でも「漢磨き」でもなく、ただ一点、【この本の存在を知ってもらう】ということに尽きるのであり、
「プロモーションか?」「パフォーマンスか?」と問われれば、間髪入れず「イエス!」と答えられる信念を持って旅を続けている。
「弱音を吐くな」とか「辛いことをわざわざアピールするな」とか、毎日のようにお叱りのメールを様々な方からいただくが、
一つだけ言えることは、取り急ぎこの本を本当に読んで欲しい読者層は「あなた方のような強者ではない」という一言に尽きる。
10代、20代の若者へ。
俺たち30以上のおじさんたちの古い価値観には決して染まるな。
過去の価値観によって認めてもらえない生きづらい社会であっても、その違和感から逃げずに自分と向き合い続け、
10年後に君たちに託される社会にとって、より良い新しい世界となる価値観を見つけ出せ。
次の時代を創るのは、君たちをおいて他にはいないのだから。
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