今週は以下のニュースが世間を騒がせていました。
 

 

成田氏の「高齢者は集団自決」発言を聞いた時の筆者の個人的な反応は、「『年金貰いすぎだぞ』『早く引退しろ』と言った話ならともかく『死ね』は無理でしょ」「よくわからないこれ、アメリカだったら集団訴訟でも起こされて凄い金額の賠償請求突きつけられるやつ?」といったものでした。ニューヨーク・タイムズの日本報道は昔からあまり評判は芳しくなく、この記事もおそらく「日本ではこんなおかしなことが起こっている」といったメッセージとなることを想定していたものと思いますが、この記事を見たアメリカ(及びその後追い報道が出た各国)社会の反応は大きく異なったものでした。
 

 

インドでの報道だそうです。


Yale prof thinks that murdering oldsters is a “complex, nuanced issue” | Statistical Modeling, Causal Inference, and Social Science (columbia.edu)
コロンビア大学統計学教授のポスト。滅茶苦茶怒ってます。

この報道を見た人の多くが、特に日本だからということでなく「イェールの経済学の先生が自分たちに対してこんなことを言っている、けしからん」という反応を示しています(少なくとも先進国では)。これは、背景にある高齢化・世代間の所得配分といった問題が、程度の差はあれ日本だけに留まらないグローバルなものであることを示しています。恐らく当の記者の想定を超えて、この報道はアメリカや世界の世論に一石を投じるものとなりました。

もう一つの背景としては、アメリカの社会における、アイビーリーグに代表される所謂アメリカ東海岸エリートに対する反感、というものがあるのではないかと思います。

 


2019年のノーベル経済学賞受賞者、バナジーとデュフロの著作。ともにMITの教授です。本の内容はともかくとして、「ボストンのスターバックスで働けば拍がつく」といったあからさまな偏見や(学問を志す人であればハーバード大学やMITといったボストンの名門私立大学にあこがれる人は勿論、たくさんいると思いますが、「ボストンのスタバでバイトする」ことにあこがれるアメリカ人は見たことがありません)、「ヒルビリー・エレジー」の著者ヴァンス氏(現在は上院議員)がイェール大学ロースクールを卒業し、シリコンバレーのベンチャーキャピタルで働いた後、故郷のオハイオ州に戻って地元の開発のためのファンドを立ち上げたことに対して「中西部に本社があったら、東海岸の優秀な学生を田舎まで来るよう口説き落とさなければならない」「成功を祈ってはいるが、期待はしていない」等と論評しており(「ヒルビリー・エレジー」でヴァンス氏が取り上げていた「イェール大学は有名私立大学以外の出身者を全て拒絶すべきだ」と信じるロースクールの教員そのものですね...)、読む気をなくしてしまったことを覚えています(アメリカの地域経済についてはこちらも参照)。

 

 

アカデミックコミュニティを含めた東海岸のエリートコミュニティの競争は激しく、時には傍から見たら異常とも思えるような上昇意欲と自意識がないと上がっていけない世界ではあるのですが、時にそのような人からいわれのない偏見と侮蔑を受ける普通の人たちの中には、そういうエリートたちを疑いの目で見ている人も少なくありません(ハードコアなトランプ支持者、というわけでもなく、都市部でプロフェッショナルな仕事をしていて、日本人の感覚で言えば高給(日本で「外資系って給料が良くていいね」と思うような額よりもずっと高給)を得ているような人も含む)。これは、例えばアメリカのバイデン大統領がなかなか引退できない理由の一つでもあります(氏はもちろん民主党員ですが、ペンシルバニア州の中産階級の家庭に生まれ、デラウェア大学卒→シラキュース大学ロースクール卒と、こうしたコミュニティの一員ではありません)。

 

本ブログの過去記事。アメリカの分断についてはこちらもご覧ください。我々がともすれば「白人のアメリカ人」とひとくくりにしてしまいがちな人たちも、歴史・民族・文化等により様々な文化圏に分かれており、それが現在のアメリカ社会の分断にも影を落としていることが伺えます。


これは筆者の中だけの連想ゲームのようなもので、成田氏がそのような背景を持ってあの発言をしたというわけではもちろん全くないと思いますが、氏はアメリカ社会では日本人とはいえそのようなエリートコミュニティの一員ととらえられてしまいますので、そうした側面からも氏の発言は極めて負のインパクトが大きいものだったのではないかと思わざるを得ません。

 

 

Yusuke Narita and Ayumi Sudo "Curse of Democracy: Evidence from the 21st Century.[Submitted on 15 Apr 2021 (v1), last revised 27 Sep 2021 (this version, v3)]

成田氏の論文。学部生との共著なので、元々は学生のレポートだったものに手を入れて共著にしているのかもしれません。「2001-2020の期間において、民主主義はざっくり年率2%程度、GDP成長率を低下させていた」とのこと。日本が民主主義をやめたら成長率が2%上がるという気もしませんので、何らかのバイアスが潰し切れていないのではないかと思わなくもありませんが、いずれにせよ中国の台頭などにより「民主化しなくても経済成長はできる(逆方向の因果で言えば「経済成長しても国は民主化しない」)」は世界的なコンセンサスになっており、それを追試する結果になっているのではないかと思います。なお細かい結果を見ると、民主主義がGDP成長率を鈍らせている要因は貿易と投資であり、長期的な経済成長率を決める生産性の成長率には有意なインパクトは及ぼしていないようです。

ざっと見た限り難しい統計手法を使っているわけではなく、専門家でなければ入手できないデータを使っているわけでもなさそうなので、学部レベルの計量経済学を勉強している人は論文を読んでみたり、元データに当たっていろいろ分析してみたりしてもいいかもしれません。

 

 

なお先ほどのコロンビア大学統計学教授のポストでは、“Seriously, that paper reads like a parody of ridiculous instrumental-variables analyses… Statistics is good that way—you can use it to support causal claim you want to make, just use some fancy identification strategy and run with it.”と一蹴されています。