北条は、三郎宗時に続き、執権太郎時宗、そして五郎宗時までも(大河ドラマ考354 鎌倉殿6) | Prof_Hiroyukiの語学・検定・歴史談義

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2月13日の漢字能力検定試験(漢検)の受験者・関係者の皆様、大変お疲れ様でした。

 

遅くなりました。今週本放送の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は「第6回 悪い知らせ」。

石橋山戦で大敗した源頼朝らは潜伏中のところを敵方の梶原景時に見つかるのですが、梶原は「落雷による追手の退散」を目の当たりにして頼朝に神の御加護がある事を確信。彼が頼朝を見逃した事によって頼朝軍残党は九死に一生を得ました。そして、土肥らの手引きで房総半島まで渡海。その地の大豪族である三浦氏を頼ります。

しかし・・・軍の指導的立場であった北条家長男・宗時は別行動中に討ち死に。

その死を、遅れて合流した仁田忠常の知らせによって漸く知る北条親子・・・という筋です。

 

 

(1)後になって、字をひっくり返しただけの北条時宗という人物が第8代執権として活躍します。その意味は?

時宗は名君と言われた5代執権時頼の嫡男で、北条の家督相続が約束されていた人物でした。

その様な人物に「時宗」と名付けるのは、三郎宗時に対してのちの北条家の面々が「良い印象」を持っていたことの証左です。

順番が違うですって?実は、時宗の実弟に宗時まで居たそうで、この人物をドラマ登場人物の三郎宗時とは区別して「五郎宗時」と呼びます。

この場合は、御先祖様の宗時に肖って付けたと考えて差し支えないでしょう。

 

(2)いや、これは当時の征夷大将軍(主君)・宗尊親王の偏諱というだけでは?

いえいえ、そうではないと思います。

例えば、毛利家の歴代と主君の大大名・将軍の名前を連ねますと・・・

毛利元 元 (元就) 元 元 元 就  

大内義 義 義 足利義 豊臣吉 徳川家綱 

 

「主君の一文字+元」というルールがある事が見て取れます。

一見ルール通りには見えない歴代のうち、まず元就は嫡男ではなく、兄の急死後に甥が夭折したための相続。それから、秀就の場合は本来相続する予定だった従兄弟の秀元から譲られて・・・という背景を考えると、最初から嫡男だった毛利綱広は「綱元」でなければならないはず。間違いなく、幕府からはそう名乗る様に打診が来たはずです。

 

ところが毛利元綱という、兄の元就を倒そうとして誅された「反逆者」が過去に居たのです。それを決して忘れていない毛利からは順番が違えど同じ文字なので忌避されたらしく、「元」の代わりに鎌倉将軍を補佐した「13人」の一人で毛利の祖・大江元から「広」の字を頂戴して「元」の代わりにしたのです。

そう言えば、戦国期に将軍足利義輝が毛利に「輝元」ではなく「義元」はどうかと告げた際も、(表向きには上の字は恐れ多いという断り方でしたが)桶狭間で無様に負けた今川義元と同じになって縁起が悪いので反対。伊達政宗も、将軍から一字を拝領して義宗・昭宗などとなるべきところを拒み(織田信長には臣従していない)、伊達家中興の祖と言われる偉大な御先祖の(初代)政宗に肖りました。・・・一地方大名でも不都合ならば将軍からの一文字拝領と言う栄誉よりも偉大な御先祖に肖る事を優先したのです。

 

ですので、例え将軍宗尊親王の命でも天下の執権・北条ならは「宗」「時」は都合が悪ければ十分に却下できるはずです。それをせず、しかも時宗の後に五郎宗時までも登場・・・という事は、北条三郎宗時が後代の北条一門に好印象を持たれ続けていた証として十分かと思われます。

 

(3)その好印象の理由が

ドラマの通り「北条が頂点に立つ!」と言い出した人物だったから・・・だったら良いな、などと想像してしまいました。

真相としても、当たらずも遠からず、だとは思います。