こんにちは!

 

今日も寒ーーーーい朝でした笑い泣き

 

しかし、

やっと、やっと、

冬が来た!

って感じでもありました。

 

今週の寒さが、この冬のピークになるのでしょうか。

 

それを過ぎれば

三寒四温を経て

春はもうすぐ、、、、。

 

嬉しいような、さみしいような。

そうなると、

この寒さの実感が

なんだか愛おしく、名残惜しくなってきます。

 

 

息子は明日から1泊2日の県外合宿。

他校の三年生は、受験勉強に頑張っている最中、

専ら部活に専念しております。

 

足裏にできた水ぶくれや

タコのよう硬く盛り上がってしまった親指の付け根部分を毎日ケアしながら

 

「がんばってるんやなぁ」と

 

昔の自分も重ねて思い出してみたりして、、、。

 

 

何はともあれ 

春からは、高校生。

 

また一段と、大人に近付いていく訳です。ほっこり

 

 

 

この頃特に思うのですが、

 

「私らの時は、、、、だったのに。」

という、過去の話しを今に当てはめようとして、

返って世代間ギャップを広げてしまうということの多いこと、、、。

 

「それを言い始めると、歳をとった証拠やな。」

昔は、自分が年配の人に対し思っていたことを、

今は逆の立場で、思われる側に立っている。

 

実はそういう自覚すら持たない人だって、たくさんいるという現実の中、

 

ちょっとまって、その話して、ギャップを広げたかった訳じゃないよな?

じゃ、何のために「私らの時は、、、、」話をしとんやっけ?

 

と、考える。

 

 

きっと、言ってる本人も

今と昔は全然違う、何もかも違う

ということは、頭では分かっているはずなのに。

 

「私らの時は、、、、」話は、いつの時代も変わらず、

年寄りの小言となって、受け継がれている。

 

何が言いたいのかと言うと、

 

自分達の方が苦労している。

自分達の方が大変な状況を経験している。

だから、自分達の方が偉い。(と、思いたい)

だから、自分達の方が正しい。(と、思いたい。)

 

的な感じでしょうか。概ね。

もっと言えば、それを認めて欲しい、理解しようとして欲しい、

そういう思いもあるのかもしれません。

 

 

若い子達の今と、自分達の若かった頃。

それはそれは、いつの時代も

あまりに違い過ぎて、、、、

現実には、比べる術もありません。

 

 

だから、そんなことを言ってるよりは

「今のやり方、考え方」の良いところを見付けて

自分の「今」に、取り込んでいく工夫をしてみればいい。

 

「私らの時は、、、、だった。」

じゃなく

「今の人達のやり方は、、、、で、その方が断然イイね。」

「昔よりずっと、進化してるね!」

「私もそうしてみよう!爆  笑

 

みたいに。

 

 

若い子達に、自分達を理解させようとするのには、

相当な無理があります。

なぜなら、単純に経験不足だから。

 

いろんなことを経験してきている年配者の方が、

若い子達を理解しようと努めることに長けているのではないかと

そう思うのです。

 

少なくとも私達は、

若い子達の年代を、既に通り過ぎて来ているので

同じような時代ではないにしろ、

同じような年ごろは、経験してきていますから

理解できることも多いのではないかと。

 

が、しかし、逆は無いのです。

若い子達が、今現在において、

私達の年代を経験することは、今後もずっとないのです。

 

多分、普段 想像することすら、ないのでは?

 

 

だから、私達のやり方、考え方を当てはめて考えて、

その違いにイライラしたり、怒りを感じたりするよりは

 

私達が今の子達に擦り合わせられるところを見付ける工夫をした方が

遥かに平和で穏やかで、

上手くいくような気がしています。照れ音譜音譜

 

 

とは言え、ついつい、考えてしまう、、、。

そういう感じでも構わないと思うので、

出来るだけ、今の子達に添ってみて、楽しめる部分は取り込んでいけられれば

双方ハッピーな気がします爆  笑音譜音譜音譜

 

 

 

寒さはあと少しです。

お身体には、十分ご自愛くださいますように。

それでは、また次回ですパー音譜音譜音譜音譜