ツェンコヴァ先生がブルガリアのテレビ番組「Ничия земя(誰もいない土地 / ノーマンズランド)」にご出演。

この番組は、ブルガリアの二大主要ネットワークの一つであるNOVA TVで長年放送されている、非常に人気が高く、影響力のあるドキュメンタリー・ルポルタージュ番組です。YouTubeの公式チャンネルでも、エピソードによっては数十万回の再生数を叩き出すほどの人気を誇っています。

 

 

 

 

(なぜか、YouTubeのURLがこちらに貼れない)

 


全編ブルガリア語なので(当たり前だけど)文字起こしした内容を日本語でまとめました(もちろん私の秘書ジェミちゃんの力で)

内容、かなり踏み込んだものになっています。

先生、ここまでテレビで話して大丈夫ですか?って思うくらい。長いですが、読んでみてね。


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この動画は、日本の神戸大学で活躍するブルガリア人科学者、ルミャナ・ツェンコヴァ(Rumyana Tsenkova)教授へのインタビューです。彼女が創設した新しい学問**「アクアフォトミクス(水と光の科学)」**を中心に、水が持つ驚くべき性質について語られています。
以下に、動画の全体的な要約と、重要なトピックごとの詳細な解説をまとめました。

💧 動画の全体要約(要点)
民間信仰から科学へ: ブルガリアには昔から「治癒力のある水(奇跡の水)」の伝説や儀式がありますが、ツェンコヴァ教授はそれを**「近赤外分光法」**という光を使った技術で科学的に解明しようとしています。
究極のセンサーとしての水: 水は単なる液体ではなく、周囲の温度、音、人間の発する電磁場(エネルギーや感情)などの影響を受けて、その分子構造をダイナミックに変化させる「究極のセンサー」です。
人間の健康と水の関係: 人体の約70%は水です。人がポジティブな気分の時、体内の水は活発に働きエネルギーを生み出しますが、ネガティブな感情やストレスを抱えると、水の分子が固まって(水素結合を過剰に形成して)機能しなくなり、それが病気の原因になると教授は指摘しています。

🔬 トピック別の詳細解説
1. アクアフォトミクス(Aquaphotomics)の誕生
ツェンコヴァ教授は元々、ブルガリアでヨーグルト製造の自動化センサーを研究していました。その後、モスクワで「近赤外分光法(光を当てて物質の成分を分析する技術)」に出会い、健康な牛と病気の牛のミルクでは「光のスペクトル(波長)」が異なることを発見しました。
1990年に来日して研究を進める中で、ミルクの82%を占める「水」自体が光を反射・吸収し、周囲の環境や物質の情報を映し出す鏡の役割を果たしていることに気づき、**アクアフォトミクス(水と光の学問)**という新分野を打ち立てました。

2. なぜ日本のブルガリアヨーグルトは「菌を毎月輸入」するのか?
日本のメーカー(明治など)は、ブルガリアから毎月乳酸菌を輸入しています。日本で菌を育てても、ブルガリアと同じようには発酵しないためです。
教授はこれを**「水の違い」**で説明しています。ブルガリアの特有の気候や環境が「その土地の水」の構造を形成し、菌はその特定の水環境の中でしか本来の力を発揮できないのです。

3. 水は「記憶」し、人間の「エネルギー」に反応するのか?
インタビュアーが「水には記憶があるのか?」「ポジティブ・ネガティブなエネルギーに反応するのか?」と尋ねたのに対し、教授は科学者としての立場から以下のように答えています。
水の記憶: 「水が情報を記憶する」という定義を科学的に証明するのは非常に難しいものの、水が外部からの影響を受けて構造を変化させ、その痕跡(スペクトルの変化)を残すことは実験で確認されています。水は情報を「記憶」もするし、「忘却」もする柔軟なシステムです。
人間の感情の影響: 学生たちが水の入ったコップに手をかざす実験では、人間の持つ電磁場の影響で水のスペクトルが明確に変化しました。さらに、教授は「誰がその水を扱ったか」をデータから判別できると語っています。

4. 健康な人と病気の人の「水」の違い
人間の体内の水も、感情や状態によって構造が変わります。
健康な状態(ポジティブ): 水分子が活発に動き回り、他の分子と相互作用してエネルギーを生み出します(教授はこれを「美しいアクアグラム(水のスペクトル図)」と呼んでいます)。
病気・ストレス状態(ネガティブ): 水分子同士が強く結びつきすぎ(凍りついたような状態になり)、他の分子と関わらなくなります。この「水が働かなくなる状態」が病気の引き金になると考えています。

5. 光と水の関係、そして未来へ
日の出と日の入り: 朝日の光は水分子の結合を解きほぐして「働く準備」をさせ、夕日の光は水分子を再び結びつけて「眠らせる」効果があると言います。光が水をアクティブにするスイッチなのです。
水ベースの量子コンピューター: インタビューの終盤で、最先端の技術として「水(ゲル状の構造)をベースにした量子コンピューター」が開発されていることにも触れています。水は自己調整機能を持つ、自然界で最もインテリジェントなシステム(量子コンピューターのようなもの)だと教授は語ります。

💡 まとめ:科学と神秘の融合
動画の最後に教授は、**「これまで神秘的だと思われていた水に関する儀式や民間信仰(洗礼など)は、昔の人が時間をかけて水を観察し、感じ取った事実に基づいている」**と述べています。アクアフォトミクスという科学の力で、その「目に見えない水の世界」のメカニズムを一つずつ解き明かし、医療や健康、ひいては社会のあり方に役立てたいという力強いメッセージで締めくくられています。

3月15日、佐治晴夫先生の91歳を祝う会「心に刻まれた年輪」を開催いたしました。


北は宮城、南は大分や佐賀まで、本当に全国各地からたくさんの方々にお集まりいただき、満員のご参加者の皆さまと一緒に温かなお祝いができましたこと、心より感謝申し上げます。


第一部は、映画『Pale Blue Dot 君が微笑めば、』の上映。


そして第二部は、佐治先生のピアノ演奏と西嶋監督のトークという、なんとも贅沢で愛に溢れた時間でした。


二部は先生のピアノから始まりました。バッハのプレリュードに続き、ベートーヴェンの『月光』。


先生が音楽の素晴らしさに初めて触れられたのは、戦時中の中学生の時だったそうです。その頃のリアルなお話を伺っていると、まさにこのイベントのタイトルである「心に刻まれた年輪」の1ページを、私たちの目の前で鮮やかにめくってくださっているようでした。





そして、昨年ウィーンを再訪された際のお話も。

シューベルトの墓石に刻まれた言葉から、新たな発見をされたという先生。「これは短い論文に書きます」と楽しそうにおっしゃっていたので、詳しい内容はここには書きませんが、完成が今から本当に楽しみです!


若き日にウィーン大学にいらした時の景色。そして時を経て、90歳になられた昨年の冬の再訪。

墓石に刻まれたメッセージは同じなのに、そこから新たな意味合いを発見された佐治先生。


意味を見出すまでに、丁寧に自分の人生の年輪を一年ずつ積み重ねてこられた「時間」というものが必要だったのですね。


「墓石のメッセージも、遠く輝く星の光も、過去のものなのに“今ここ”にある」

まさに「永遠は今ここに」。


先生の紡がれる言葉一つひとつが、確かに「心に刻まれた年輪」として私たちの胸に響きました。



第二部の最後は、先生ご自身の編曲によるシューベルトの『音楽に寄せて』のピアノ演奏。


今、心にこんなにも沁み渡る美しい調べを奏でてくださり、会場の全員が胸を熱くし、温かな空気に包まれました。


「教育は希望を与えるものでなければならない」




先生はそうおっしゃいます。

まさに、ご参加くださった皆さまの心に、そして私の心にも、ポッと明るい「希望の光」が灯った講演でした。


今回は、イマココ・ストアと映画事務局の両方で主催をさせていただきました。


足を運んでくださった皆さま、そしてボランティアでスタッフとして駆けつけてくださった秦野の皆さま!皆さまの愛とサポートのおかげで、最高の1日になりました。本当に、本当にありがとうございました!



これからも「今ここ」にある奇跡を大切にしながら、皆さまにたくさんの喜びをお届けしていきますね。





今朝、出張の準備をしてカーテ、さぁでかけよう♪と外を見ると、季節外れの3月の雪が降っていました。

 

 

 

早咲の桜の上に舞い降りる白い雪を見た瞬間、私の記憶は、15年前のあの日へと引き戻されました。

 

いま、東北新幹線の車中でこのブログを書いています。

明日、3.11を同じように迎えるために、仙台へ向かっています。

 

15年前の3月10日。私は仙台で販売パートナーさん主催の竹布(TAKEFU)のお話会に参加。

一泊した後の11日に福島へ向かいました。

そして、福島駅に停車中の新幹線の中で、あの東日本大震災に遭いました。

 

当時、駅の広場で行くあてもなく呆然と立ち尽くしていた私の上にも、今日のようにハラハラと白い雪が舞い降りてきたのを、今朝の雪を見て鮮明に思い出しました。

 

その後、福島の友人の家に身を寄せていた時に原発事故が起き、帰るに帰れず、見えない恐怖と放射能の雨の中にいました。

あの時、そして今もなお、多くの方が深い悲しみや苦しみの中にいらっしゃるのではないかと思います。

 

実は、福島へ向かう前、私には別の計画がありました。

いわきの海岸沿いの治療院を取材で訪ねるか、「ゆの里」のお水合わせのため仙台のさらに先の島へ渡ろうとしていたのです。

ところが、その日の夕方までに東京へ戻る用事ができてしまい、どちらもその日のうちに東京へ戻るのが難しいとわかり、行き先を福島に変更しました。

 

もし、あのままいわきや島へ渡っていたら……私はあの津波にさらわれていたかもしれません。

 

あの日から15年。

お陰様で、私は本当に多くの方に支えられ、とても充実した幸せな日々を生かしていただいています。

でも、私の心の奥底には、ずっと消えることのない想いがあります。

「あの日から生きられなかったあの人は、私だったかもしれない」

 

今こうして息をして、笑い合えることの奇跡。

ゆの里のお水のこと、優しく寄り添ってくれる竹布のこと、そして「イマココ」を生きるということ。

 

新幹線の窓の外、通過する福島駅を見ながら改めて感じています。

 

明日は仙台で、あの日を想い、静かに祈りの日を迎えます。

どうか、皆様の「イマココ」が、温かく穏やかな光に包まれていますように。