ピンク・コンプレックス | シネマ自分

シネマ自分

自分って結局映画を写す映写機みたいなもんでしょ。客も自分だけど。

天気がいいので、なんとなく仕事の合間に昔遊んだ小さな公園に来てみた。不自然なくらいピンクに咲いた桜はもうすべて散ってしまって、いつもの貧相な葉の緑が木々の穢い皮膚を微かに健康にみせている。こんなところでは、大自然の恵みもそれなりにしか与えられないのだろう。なんにしても、狂った春が終わって、のんびりとした、なんのとりえもない日常が戻ってきたことは少しうれしい。


相変わらずつまらなそうな遊具が寂しく放置されている。滑り台を見ると、子どもの頃斜面に寝ころんだ時の冷たさが体によみがえってきた。そういえば公園の遊具はいつも冷たかった。


ベンチに腰掛けてみることにした。


すると一匹の犬が向こうからやってきた。


飼い犬なのか、野良犬なのか。白くて大きくもなく小さくもない。中肉中背。人間の子どものような体つきで歩いている。どうみても血統書つきではない。ただの犬だ。


犬のうしろには公園の遊具がある。その向こうにはちょっと段差がある。そのもっと向こうには、公園の入り口を示す黄色い鉄の半円が三つほど、地面に突き刺さっている。そこはさらにその向こうには細い道路を挟んで住宅があって、2階のベランダにはだらしなく白い洗濯物かかっている。この小さな公園も、あの半円によって、穢れた日常空間からはかろうじて守られているようだ。


犬は、そんな境界をもろともせず公園にやってきた。まあ考えてみれば、犬のほうこそもろに境界的存在ともいえるのかもしれない。


私と犬の距離は、もし犬が急に気持ちを変えて向かって来ても、逃げられるくらいの距離。犬が急に態度を変えても、近くには滑り台があるから、そこに登れば逃げられる。でもあのくらいの犬なら逃げなくても、こっちの気力と体力でなんとかなるだろう。でも、犬がそんなことは100%ない。その犬はぬいぐるみみたいにかわいさ満点、あれが凶暴化するわけがない。


でもかわいいものが凶暴化する様子をみたい気もする。

 

手前の地面は薄茶色に乾いている。それが敷物のようにそのかわいい白い犬と私を繋いでいる。


「同じ場所にいる。」


と改めて思う。


すると白がずいぶんはっきり見えだした。そこだけが切り取られているみたいに。すると背景は遠のいた。その分、犬はすこしだけ大きくなったようだ。

 

「かわいいかも」


ありきたりに改めて思う。と同時に、向かって来たらどうするか、などともまた考えてしまう。少しだけ心臓がドクっとしたような気がした。


その犬からどうやって身を守るか。タイミング良く蹴り上げれば大丈夫だ。左足を噛まれてもその瞬間右足で蹴り上げる。それで終わる。


体は動かしていないのになんとなくシャドウボクシングをやったときのような、陶酔がやってきた。自由自在に体が動くような感じがして気持ちがいい。だが、犬が襲ってくることはがないことは充分知っている。もし万が一急にこっちに向かってきたら、とりあえず逃げる分別が体を動かすこともどこかで知っている。

 

気が付いたら、犬はもう公園を抜けて、こちらにかすかにピンク色の肛門をみせて歩道を歩いている。


「色白の人の乳首はピンクだ。」


若い頃思った勝手な法則がよぎる。白にピンクは憧れだったが、今はなんとなく若すぎる感じがしてどうでもいい。


行ってしまった犬には本当はもう興味はない。犬はもう自分のなかにいて、勝手にイメージが再生される。再生されたイメージは劣化した部分とより鮮明になる部分がある。


犬の白さはより鮮明になった。そして自動的にまた闘いのシュミレーションが始まる。私の蹴りを食らってキャンという高い耳に響く声が聞こえるような気がする。と同時に、噛まれた左足が痛い。もちろんこれもそんな気がするだけ。だから痛いというよりはむず痒い感じだ。でもそれはやはり「痛み」なのだ。そうでなければ、名誉の負傷にはならないから。

 

決着がついたところで、もう一度犬のかわいさを想い出そうとした。このままでは、自分自身にきまりがわるい。そういえばもう35歳だ。


 そうしたら今度はその犬のぷくっとした横腹を想い出した。


「ふっくら? やわらか?


口に出さずに言ってみるが、なんか違うような気かする。


やっぱりぷくっという感じだ。そのぷくっとした横腹のきれいな膨らみは、肋骨のなせる技に思える。犬にも肋骨はあるだろう。骨が縦にはいっているから、下の方にぷくっと楕円をえがくのだ。骨は硬いのに全体としては柔らかい感じが出ているのが不思議だ。


でもその骨につつまれて内蔵がある。それも不思議だ。なんとなく肌色とピンクの中間くらいの生のホルモンのイメージがやってきた。つるっとした感触。それは銀の肉屋のトレーに乗っている。自分でもなぜ食べられるのか不思議なくらい残酷な形状。そのトレーのホルモンと小さくてかわいい犬のイメージがナイロンシートに描かれた絵を重ねるかのように重なった。そして交互にその上下が変わって頭を占領する。


食べ物としたら、なんとなく犬の毛は邪魔だ。いやむしろ邪魔なのは、かわいさを邪魔するホルモンだ。かわいい犬の腹は全部かわいさの塊が詰まっていて欲しい。でも本当に一番邪魔なのは、内蔵のイメージにまとわりとく罪悪感だ。その向こうには、痛みの感覚が痛みを伴わないである。


なんとなく不快な気分になって、公園の木の緑をみることでそのイメージに抵抗することにした。そのおかげで、そのイメージは私の頭の右下あたりに小さくなって移動していった。でもなんとなく今度はそのイメージの残した色合いが、ネガティブな感情のしこりとなって、鎖骨あたりを通って胃の裏側に生ぬるく残っている。その感情はやがて、血液かリンパに溶け込んで、全身に回るのだろうなとなんとなく思った。


軽い罪悪感は行ってしまった。が、今度は軽い後悔と不安がやってきた。

 

今日は肉を食べないと心に決めた。が、即座に、いや、出されたものはちゃんと全部食べようと考えを改めた。


なんとなくあの犬はどこにいるかなと思った。が、もういなくなっていた。

 

ふと、あの犬のイメージは自分のコンプレックスでできているのではないかという考えが浮かんだ。


しかし何のコンプレックスかは分からなかった。無邪気なところか、匂いを嗅ぎながら下ばかりみて歩く不自由な自由さか。


ならば、


「自分は自由で不自由だな」


という思いがよぎった。しかし、的を得ているようでどこか違う。


そこで、


「嫉妬の原因は、真っ白い体にピンクの肛門を持っていることだとしたらどうだろう。」


という仮説を立ててみた。その仮説自体はまったく的を得ているとは思えなかったが、なんとなく笑えた。


その仮説が正しいとしたら


「心配なのは猟奇的事件を起こすことより、我が街の青少年健全育成条例違反を起こすことだな。」


という一応の結論が出た。


その結論がベンチから立ち上がらせた。


歩く時、少しふわふわした感じが最初あったが、公園出たらすぐに元にもどった。

噛まれるかもしれなかった左足に何かむず痒いものを感じたが、そのまま歩いたら忘れてしまった。


家に帰って、食事をして、子どもと風呂に入った。


寝るときにふと、またあの犬の姿を想い出した。


「あの犬がいつ暴れるか。要注意だな。」


と少しの不安を胃の裏側に感じたが、意外に心地よく眠りについた。