[正面]_左、末代うごかぬ大名やしき
[右面]_泉州堺、松武?元三郎
[裏面]_明治四十一年冬十二月一日
[左面]_文字なし
頭頂部の形状。
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橿原市東坊城町の個人宅で保管されている3基のうちのひとつ。明治41年に泉州堺の施主によって建てられたもののようだ。
昭和30年代に、京都の伏見で名神高速道路の建設工事の際に撤去されたものを譲り受けて、オート三輪に乗せて持って帰ってきたそうで、この家に引っ越してくるまで長らく(おそらく昭和30年代後半から)市内の別の家にあったとのこと。
この民家には3基の道標が保管されており、1つは櫛羅の滝と當麻寺を案内する半自然石型の道標で、もう1つは道標を兼ねた一里塚の碑(模造か)。前の家にはもう1基あったようだが引っ越しや家の取り壊しなどに紛れて無くなってしまったという。
※記事内の写真はすべて許可を得て撮影している。
※個人宅にあるためにマップには場所の詳細を載せていない。
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・各面の内容
[正面]_左、末代うごかぬ大名や(也)し(之)き(記) <末代動かぬ大名屋敷>
[右面]_泉州堺、松武?元三郎
[裏面]_明治四十一年冬十二月一日
[左面]_文字なし
建立年 : 1908年 (明治41年)
寸法 : 高143cm×幅22cm×厚20cm
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