多武峰から尾根伝いに万葉展望台(藤本山)を経て岡寺へ通じる旧道(旧多武峯街道)の分岐に自然石の地蔵道標があります。役行者像、舟形の地蔵道標と並んでいます。



道標の正面です。この地蔵道標だけ東を向いています。



地蔵の右側には「右 高家むら …」と刻まれています。



「…むら」の右下に「十丁」のような小さな文字が見えますが…。



地蔵の左側には「左 大原藤原寺○(道?) …」と刻まれています。右下にも文字が見られます。明日香村小原(大原)の大原神社の東側に明治の初め頃まであった藤原寺(とうげんじ)を案内しているようです。



裏側になる西面です。西面に文字は無いようです。



右側面(南面)にも文字は確認できません。



左側面(北面)にも文字は無いようです。



お地蔵さまのアップ。



左には岡寺を案内する舟形の地蔵道標(享保9年)、右には役行者像があります。



この役行者像は上の行者と呼ばれており、ここから高家へ下った所の愛宕さんの横にある下の行者(写真右)と対をなすもののようです。



この場所で高家へ下る道(右)が分岐しています。左は岡寺へ通じる旧多武峯街道。



西側から。多武峰方面。



分岐と道標を俯瞰で。







高家へ下る道側の斜面には古い石垣があり、3体の石仏をしっかり支えています。


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多武峰・西口から尾根伝いに万葉展望台(藤本山)を経て岡寺へ通じる旧道(旧多武峯街道)と、高家(桜井市高家)へ下る旧道の分岐点にある、自然石のどっしりとした形の地蔵道標です。

舟形の地蔵道標(享保9年)、役行者像と一緒に並んでおり、この道標だけが東を向いています。となりにある役行者像は上の行者と呼ばれており、ここから高家へ下った所の愛宕さんの横にある下の行者と対をなすもののようです。

自然石の正面を盆状に削ってその中に合掌する地蔵が浮彫りされています。地蔵の左右には「右 高家むら …」「左 大原藤原寺○(道?) …」と刻まれており、明日香村小原(大原)の大原神社の東側に明治の初め頃まであった藤原寺(とうげんじ)と高家の村を案内しています。

地蔵右側最下部の「…むら」の右下にある線状の窪みは角度によって「十丁」にも見えますが、文字列全体のバランス的にも文字としても小さすぎるのでこれはちょっとあやしいです。ちなみに実際にここから高家集落まで10丁ほどです。地蔵左側の最下部にも文字列が確認できますが、施主銘でしょうか? 今のところ解明は出来ていません。

この道標は彫られている仏さまが立像であることなどから、現在は少なくとも3分の1ないし半分近くが埋没していると思われます。

現在、多武峰方面へは道標の少し東で南へカーブして北山からの道(車道)と合流していますが、古い道筋はカーブせずにもう少し東進して小尾根に登り、現在より50mほど大回りで西口・多武峰方面へ向かっていたようです。一部つづら折れ(というほどでもないですが)の道跡が残っています。また、道標が示す高家へ下る道と明治41年の地形図に描かれている道はルートが違っており、明治地図の道は東の道跡を少し登ったあたりで分岐していたようです。


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・各面の内容 

[東面]_(地蔵右) 右、高家むら…、…(十丁?)、
            (地蔵左) 左、大原藤原寺○?(道?)…、○○… 
[他面]_文字なし 


寸法 : 高65cm×幅105cm×厚54cm 

高家分岐点 (多武峯街道) 



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