多武峰・西口から尾根伝いに岡寺へ通じる旧道(多武峯街道)と高家へ下る旧道の分岐点に地蔵道標が立っています。安倍文殊院と岡寺、多武峰の各方面を案内しています。



正面(南面)上部には梵字「カ」、地蔵を挟んで「為 夏月浄心」「左 おか観音道」と刻まれています。



右側面(東面)には「右 あべもんじゆ道」と刻まれています。



裏側になる北面には「享保九甲辰天 上はたふのみね 高家庄兵衛 二月十五日造立」と刻まれています。



となりには明日香村小原(大原)の藤原寺(とうげんじ)と高家村を案内する半自然石の地蔵道標(道標-B)と役行者像が並んでいます。 



傍にある役行者像は上の行者と呼ばれており、ここから高家へ下った所の愛宕さんの横にある下の行者と対をなすもののようです。 



東側から。この場所は尾根伝いに万葉展望台(藤本山)を経て岡寺へ通じる旧道(多武峯街道)と高家集落へ下る道の分岐点になります。



西側から。多武峰方向。 


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多武峰・西口から尾根伝いに万葉展望台(藤本山)を経て岡寺へ通じる旧道(多武峯街道)と、高家へ下る旧道の分岐点にあり、安倍文殊院(高家方面)、岡寺と多武峰の各方面を案内しています。

裏面には施主銘や紀年銘と共に案内先が刻まれている珍しい道標で、裏面の「上は たふのみね」は、道標の裏側を見ることになる高家から登って来た人々を案内しているものと思われます。

右となりには明日香村小原(大原)の藤原寺(とうげんじ)と高家村を案内する半自然石の地蔵道標、そのとなりには役行者像(上の行者と呼ばれており、ここから高家へ下った所の愛宕さんの横にある下の行者と対をなすもののようです)があります。

なお、高家へ下る現行の道は明治41年の地形図に描かれている道とルートが違っており、明治地形図の道の下り口はここから50mほど上(東)の尾根上になっており、現行の道と尾根を挟んで8の字でクロスしています。クロス地点はここから300mほど下ったあたりで、クロス地点から上流へ明治地形図の道を辿ってみましたが道跡が不明瞭でうまく辿れませんでした。


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・各面の内容 

[南面]_(梵字・カ)、
            (地蔵右側) 為、夏月浄心、
            (地蔵左側) 左、おか観音道 
[東面]_右、あべも(毛)んじ(志)ゆ(由)道(安倍文殊道) 
[北面]_(右側) 享保九甲辰天、
            (中央) 上は(八)、たふのみね、高家庄兵衛、
            (左側) 二月十五日造立 
[西面]_文字なし 


建立年 : 1724年 (享保9年) 
寸法 : 高72cm×幅47cm×厚24cm 

高家分岐点 (多武峯街道(旧多武峯街道)) 



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<2021/3/2 補筆> 
<2022/5/24 補筆> 
<2022/6/18 補筆・役行者像写真追加>