道標が再建されました。 




大和郡山市柳町5丁目の奈良街道(竜田越・亀の瀬越・堺街道)と下街道(高野街道)の辻には以前、旧旅籠 「花内屋」(写真右)が建っていました。写真左は大門湯です。(2018年10月撮影) 



江戸期に栄えた花内屋は廃業後も建物が残されていました。



辻を南側から。辻の北には昔、城下の南の入口の柳町大門があったそうです。花内屋の角(写真左)にはかつて道標が立っていたそうで、随分前に撤去されて花内屋敷地内に長らく保管されているとのことでした。 


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ところがある日、花内屋の建物が解体されてしまいました。(2020年9月撮影) 



花内屋の跡地は駐車場になるとのことですが、なんと2021年の春にこの角に道標が再建されることがわかりました。



再建を待つ道標。初めて目にしました。(許可を得て撮影) 



上面には 「左 京 な(奈)らみ(三)ち」 と刻まれています。左側面をのぞき込むと 「右? ほう…じ?(法隆寺?) たゑま? 左? …… かうや? 道」 でしょうか。。


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(2021年3月撮影) 交差点の改良工事がほぼ完了したようです。あとは左の電柱の移設と花内屋跡地の駐車場の工事でしょうか。 



道標はまだ建っていません。 


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そして昨日の写真です。道標が再建されていました。跡地の時間貸し駐車場もオープンしています。(2021年7月17日撮影) 



あたりまえですがしっかり立っています。



では各面を見ていきます。まずは北面。光の加減で読みにくいですが、「右 ほ(本)うり(里)うし(法隆寺) たゑま 左 は(者)せ よしの か(可)うや(高野) 道」 と刻まれています。



西面には 「左 京 な(奈)らみ(三)ち」 と刻まれています。



南面に文字はありません。 



東面には 「右 京 な(奈)らみ(三)ち」 と刻まれています。



頭頂部。 





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大和郡山市柳町5丁目の辻には以前、旅籠 「花内屋」 が建っていました。江戸期に栄えた花内屋ですが、廃業後も建物が残されていました。

花内屋前の辻は奈良街道(大坂街道・竜田越・亀の瀬越・堺街道)と下街道(高野街道)の分岐点で、江戸時代には多くの旅人で賑わったようです。

当時、この辻の北側には城下の南の入口、柳町大門があり、大門の横には奈良や京都、法隆寺、初瀬、高野山などを案内する道標が立てられていたそうで、その後移設?(元々この場所だったのかは不明です)されたのか、長らく花内屋の角に立っていたようです。しかし道標はずいぶん前に撤去され、その後花内屋の敷地内(邸宅内)で保管されていました。

花内屋の建物は文化財として保存されるものと思っていましたが、2019年のおそらく始め頃に突然解体されてしまいました。方々取材したところ跡地は駐車場として整備されるそうで、合わせて交差点の改良工事も行われ、工事終了後の2021年の春にこの角に道標が再建される予定だということがわかりました。

現役時代を知らないので楽しみにしていましたがなかなか行けず、先日、再建されているとの情報が入ったので昨日(2021年7月17日)見に行ってきました。再建は予定通り2021年の春(おそらく4月中旬頃)だったようです。

北面には 「右 ほうりうし(法隆寺) たゑま  左 はせ よしの かうや(高野) 道」 、西面には 「左 京 ならみち」 、東面には 「右 京 ならみち」 と刻まれています。石は黒っぽく変色していて繊細に彫られた文字の影が同化してしまい、斜光でないと文字は少々読み辛いかもしれません。その後、東面に年号のような文字列があることが分かったので現在解読中です。 

また、御所市関屋の金剛山登山道(関屋道)の登り口には、花内屋(花内屋忠兵衛)の銘のある道標が立てられています。 


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・各面の内容 

[北面]_右、ほ(本)うり(里)うし(法隆寺)、たゑま、
            左、は(者)せ、よしの、か(可)うや(高野)、道 
[西面]_左、京、な(奈)らみ(三)ち 
[東面]_右、京、な(奈)らみ(三)ち 
            (左端) ……(解読中) 
[南面]_文字なし 


寸法 : 高78.5cm×幅22cm(根元24cm)×厚21cm(根元24cm) 
※再建後の寸法です。 

花内屋角 (奈良街道(大坂街道・竜田越・亀の瀬越・堺街道)・下街道(高野街道)) 



●大きな地図で見る 


<2021/9/4 補筆> 
<2023/10/20 補筆>