旧御所市民会館(旧中央公民館)の敷地内で御所町道路元標を発見。(2019/5/14 撮影)
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旧御所市民会館(旧中央公民館)は昨年4~5月にかけて解体された。
建物の解体の様子。(2018/4/2 撮影)
解体ほぼ完了。(2018/5/16 撮影)
旧御所市民会館の敷地内には元々東御所にあったとされる3基の道標が長らく保存されていたようで、更地になった後の2018年9月には西側のフェンス際に2基の道標が残されているのを確認できた。
跡地に残る2基の道標。(2018/9/22 撮影)
しかし、この時は西側のフェンス際に草が茂っていて道路元標の発見には至らなかった。その後、度々訪れて経過観察をしていたところ、2019/5/14に思いもかけず御所町道路元標を見つけた。
敷地の西端のフェンス際に転がっている御所町道路元標。(2019/5/18 撮影)
「御所町道路元標」の文字が確認できる。(2019/5/14 撮影)
(2019/5/14 撮影)
茂みの中に倒れている御所町道路元標。(2019/05/18 撮影)
※また、当日は敷地内で行方不明中だった別の道標も見つけた。
(元、御所市小殿(旧持田バス停前)の道標)
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道路元標は大正9年の旧道路法施行令により全国の各自治体に設置され、奈良県内にも140基近くが設置されたようだ。現在県内の50数基を訪問し所在を確認しているが、実際には70基ほどが残っているという。(奈良県教育委員会では71基の存在を確認しているとのこと)
御所町道路元標
御所町道路元標は当時の旧南葛城郡御所町に置かれたもので、元は葛城川の大橋西詰(御所市本町)にあったとされているが、1990年の上田倖弘氏の調査 (著書 「「道路元標」を尋ねて」) でも存在は確認されておらず、長らく所在不明だったものと思われる。
また、敷地内にある2基(3基)の道標は、昔東御所にあった旧御所町役場の敷地に放置されていたもので、昭和48年の御所市民会館完成時(?)にこちらに移動されたと思われるが、この道路元標も道標とともに旧役場敷地内から持ち込まれたものかもしれない。
旧御所市民会館と旧中央公民館の跡地には新市庁舎が建つとか防災市民センターが建つとか…そういった話を小耳にはさんだが、いずれにせよ道標とともに末永く保存されることを願う。(元の場所に戻されるのが一番だが)
今後も経過観察を続けたい。
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その後、道路元標の東側に大量の土が盛られていた。また道路元標の向こう側にある石柱はなんらかの標石のようで、道標の類ではないことがわかった。
(2020/1/12 撮影)
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御所町道路元標および敷地内の3基の道標が他所に移された。(2020/9/11 追記)
(2020/9/10 撮影) この記事を見られた高取町の「大和の和尚」様がご尽力くださり、関係機関に働きかけてくださっている。現在、道標を含めすべて別の場所に移されて仮保管されているそうだ。
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旧御所市民会館跡地のその後。
2018年の夏から更地になっていた旧御所市民会館の跡地で「(仮称)御所市防災市民センター」の建設工事が始まった。(2022/11/27 撮影)
建物の骨組みが出来上がりつつある。(2023/5/20 撮影)
完成間近の様子。(2023/12/21 撮影)
(仮称)御所市防災市民センター整備基本計画 概要 [PDF]
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※参考
御所市教育委員会 (1984) 『いにしえの御所を尋ねて-道標編-』
上田倖弘 (1990) 『「道路元標」を尋ねて』
地図の中心は旧御所市民会館跡地。
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(記事編集)
<2019/5/25 写真追加>
<2019/5/26 リンク修正・補筆>
<2019/5/28・30 補筆>
<2019/6/12 大久保谷稲荷神社道標の記事を分離>
<2019/7/31 保守・追記>
<2019/9/17 補筆>
<2020/2/16 写真追加・追記>
<2020/9/11 写真追加・追記>
<2022/12/23 写真追加・追記>