今日はわたしが30年以上
囚われていた父親に関する
思い込みが外れた話を書きます
・・・
父親は30年以上
警察官として働いていて
めっちゃ怖いし
偉そうだったし
ひとの話を聞かないし
話をしていても取り調べみたいで
身体もガッチリしていて
見た目からもかなり怖い
悪いことした少年に
「おじさんほんまに警察なん?
見た目ヤクザやん」
と言われたことも何回かあるみたい笑
でも退職してからの父親は
わたしや母親が絶対作らない
手の込んだ揚げ物料理を作ったり
ひとりでバイクで旅行に行ったり
わたしを心配してくれていることを
伝えてくれるようになったり
本当の父親は
楽しいことが好きで
柔軟性があって
おもしろいひとなのかもしれない
ってふと気づいて
それに気づいてから
父親が身近な存在になった
「わたしとは違う」
ってあんまり思わなくなった
わたしが
「こういうのが父親だ」
と思っていたのは
仕事のストレスや
警察の組織にどっぷり浸かって
そう見えていただけかもって
そういう苦労により
わたしはお金のことを気にせず
のびのび暮らせたわけで
ほんまにありがたいなあって思う
目の前のひとが
自分には「こういうひと」
って見えていても
実は真逆のこともあるんだなあ
って父親を見ていると感じる
それが父親が現職のときに
わたしがわかっていたら
父親はもう少し楽だったのかも
しれないなあって
父親が安心して
自分を出せるようになったことが
うれしいなって思うし
わたしがそう見れるように
なったのもうれしい
正直、話通じんわ
って思うこともあるけど笑
普通の会話が増えただけで
うれしいんだよね
わたし自身も父親の前で
変に気負わずいられるようになって
楽だな〜って
自分を見せられるように
なっていくのって安心する
相手に話が通じない
自分が伝わらない
と思うときは
自分の中にある当たり前や
このひとはこういうひとだ
という固定概念に囚われて
そこをひっくり返すのが
「自分が怖い」のかもしれないね
もしくは「なんでわたしが?」
という怒りかもしれない
相手をまっすぐに見れない
「自分のクセ」を確認することで
わかり合うことが始まっていくと
わたしは思う