最近、ふと西洋圏での「聖書」のようなものはアジア圏(というよりむしろ日本)にあるだろうか、という疑問が浮かびました。こちらにおける聖書の果たす役割は私が思っていた以上に大きいものです。
論語(the Analects of Confucius)かな、とも思いましたが、そんなに多くの人が読んでいるようには見えません。
じゃあ何によって日本人は生きているのでしょうか。
私の小さな脳みそから絞り出した答えは「特にない」、「しいてあげるなら周りの友人」でした。
西洋圏の聖書、イスラム圏におけるコーランのようなものはなくとも、自分の信頼・尊敬している友人(ここでいう友人はfriendつまり先輩や親や恋人も含む)に悩みを聞いてもらって出す結論によって生きる。
日本人は肌感として宗教が合わないようなので、どうやって考えるか、どうやって生きるかは自分の選択次 第という柔軟性も持っています。
ここにも多神教・多価値観の文化の一つが現れているのかもしれません。
蛇足ですが「親友」の意である"best friend"にも顕著だと思います。
親友はたくさんいる可能性を含む一方、best friendは1人!という感じ。bestの意である1番、ナンバーワンから見てとれるように語源は日本にありません。
論語(the Analects of Confucius)かな、とも思いましたが、そんなに多くの人が読んでいるようには見えません。
じゃあ何によって日本人は生きているのでしょうか。
私の小さな脳みそから絞り出した答えは「特にない」、「しいてあげるなら周りの友人」でした。
西洋圏の聖書、イスラム圏におけるコーランのようなものはなくとも、自分の信頼・尊敬している友人(ここでいう友人はfriendつまり先輩や親や恋人も含む)に悩みを聞いてもらって出す結論によって生きる。
日本人は肌感として宗教が合わないようなので、どうやって考えるか、どうやって生きるかは自分の選択次 第という柔軟性も持っています。
ここにも多神教・多価値観の文化の一つが現れているのかもしれません。
蛇足ですが「親友」の意である"best friend"にも顕著だと思います。
親友はたくさんいる可能性を含む一方、best friendは1人!という感じ。bestの意である1番、ナンバーワンから見てとれるように語源は日本にありません。







