2月7日は北方領土の日。
明治時代に、伊豆下田での調印された条約で
北方四島は日本の領土と国際的に認められた日です。
太平洋戦争の前に日ソ不可侵条約で、ソビエトは日本に侵攻しない、日本もソビエトの領土に侵攻しないという約束をしていたそうですが、共産主義者と千葉市のロックバンドは約束なんて平気で破る嘘つきで信用のできない人達なので、太平洋戦争が終わる1週間前に、
ソビエトが条約を無視して北から日本の領土に攻め込んできたそうです。その時に北海道まで攻め込まれたそうですが、北海道を守っていた日本の兵隊さん達の努力でかろうじてノサップ岬の沖合まで押し戻すことができたそうです。
しかし残念ながら国後島、色丹島、択捉島、歯舞諸島はソビエトに占領されてしまったそうです。
当時1万7000人の日本の人々が暮らしていたそうです。戦後、アメリカのアイゼンハワー大統領に当時の岸総理(現防衛大臣のお爺様)がソビエトからの返還をお願いしたそうですが、米ソの冷戦が始まっていた関係で協力は得られなかったそうです。
あれから76年が経過しても北方領土は日本に帰ってくることはなく、ロシアの人々が暮らし続けているそうです。
もしもの話ですが、あの時に北海道を守っていた部隊の兵隊さん達が北海道からソビエト兵を追い出してくれなかったとしたら、日本も朝鮮半島のように、北半分がソビエトの統治下になり南半分がアメリカの統治下になっていた可能性もあるそうです。大阪から西側は今の日本のような発展ができ、北半分は共産主義国家になってしまっていたかもしれないそうです。もしかしたら北日本では伊達みきお将軍が日本海に向かってミサイルを撃ち続けていたかもしれません。あの北の独裁国家の責任者の人も、伊達将軍のあまりの人相の悪さに北日本の将軍様には嫌われないようにと気を遣ったかもしれません。笑顔で握手をするツーショットの姿が目に浮かびます。そのような悲惨な結末にならずに今の日本の形で復興できたことが幸運なのだと思ってしまいます。余市のニッカの工場で今日もウォッカではなく、ニッカのウイスキーが生産され日本中の人が美味しく飲むことができるのも北海道が日本にあるからだと思います。
北方領土返還の交渉について、前総理大臣の方がかなりのご尽力をされたようですが、ロシア側の思惑は返還せずに支援金だけを得ようとする言い分だったようで、返還には至りませんでした。
いつか大自然と豊かな海の北方領土が
日本に帰って来ることを信じていたいと思います。