フィギュアスケートの浅田真央選手をテーマに書いたオリジナル曲、

「つむじ風」を歌ってMステのウルトラオーディションに応募したところ、

なんと一次審査を通過し、二次のウェブ投票に進んでいる。

(下記のリンクより投票にご協力いただければ幸いです。

一日一回の投票が可能なので日課のようにクリックしてください!

http://www.tv-asahi.co.jp/music/audition_2017/vote/?id=226
★編曲・ピアノ伴奏は、劇団・燦グリアの舞台音楽も担当してくれている桑鶴舞ちゃん♪)

 

Mステ出場まで辿り着くために、

いまは皆さんの応援で三次審査まで送り届けてもらうしかない状況だが、

この曲に込めた想いをここでお伝えできればと思い、筆を執った。

以下、当時のことを思い出しながら読んでいただければ。

 

2014年のソチオリンピックは、

浅田真央に釘付けだったことしか覚えていない。

 

その一つ前のバンクーバーオリンピックでは、

1試合でトリプルアクセルを三度決めるギネス記録を築きながらも、

小さなミスが響いてキム・ヨナに敗れ、結局銀メダルに終わって涙を流していた。

それから紆余曲折を経て、

悲願の金メダル獲得を誓い、絶好調で迎えたはずのソチだった。

ところがショートプログラムを終えてまさかの16位。

演技後は「何もわからない」との言葉を残し、まさに放心状態といった様子。

あの時は誰もが「立ち直れそうにない」、

「フリーでもきっと同じことが起きてしまうだろう」と思ったに違いない。

 

そしていまや伝説となったあのフリーの演技へ。

「結果なんてどうでもいいからとにかく無事に滑りきって欲しい」と、

手を合わせるような思いでテレビの前に座った。

最初のトリプルアクセルに向かう助走。

文字通り息を呑んで見つめた。

今でもあの映像を観ると、リアルタイムの緊迫感が蘇る。

まるで時間が止まったかのような、

感覚的な静寂に支配された一瞬だった。

 

・・・成功!!!

 

もうそれだけで充分との思いだったが、

それから彼女は何かが乗り移ったように次々とジャンプを決め、

情感溢れる驚異的なパフォーマンスで世界中の観客を魅了したのだ。

演技終了後、彼女は泣いていた。

とてつもないプレッシャーから解放されたこと、

目指し続けていた理想の演技ができたこと、

それでも執念を持って追い求めてきたはずのメダルには決して届かないこと。

いろんな想いが溢れたのだろう。

  

気づけば俺も泣いていた。

無意識の濃密な感情移入だった。

浅田真央の世界に完全に惹き込まれてしまったのだ。

実況アナウンサーはわずかに声を震わせながら言った。

「これが浅田真央です」

あの4分9秒は、

これまでに観てきたスポーツシーンの中で

最も心動かされる瞬間だったと言って間違いない。

 

演技が終わった直後、不思議と曲を作りたい衝動に駆られた。

おもむろにペンを取ってノートを開き、ギターを抱え、

感情を写し取るようにメモを取り始める。

曲作りは何度もやってきてはいたが、

このときほどメロディーと歌詞が一体となって滑らかに沸き出したことはなかった。

 

 

<「つむじ風」 1番の歌詞>

 

・・・・・

ただ楽しくて ただそれだけで跳べてた

氷の上に映るあなたの姿

神の与えたもうた無垢な笑顔が

まっさらなキャンバスに染みて 僕らも笑った

 

強いハートの良き敵(かたき)に恵まれて

負けまいと歯を食いしばり高みを目指した

 

気になる輝きを放つ少女は

理想の壁の厚さに阻まれながら

大きく大きく羽ばたいたけど

孤独な空の隅で 気まずい不安を隠してた

・・・・・

 

ジュニア世界選手権でいきなり優勝を飾った頃の浅田真央は、

まさに小さな「つむじ風」のようだった。

突如としてメディア注目の的となり、

あの天真爛漫な笑顔を振りまきながらとにかくクルクルと軽やかに回っていた印象だ。

以降は大会に出れば優勝、「トリプルアクセル」の文字が雑誌や新聞を彩り続けた。

何の迷いもなく、本当に「ただ楽しくて ただそれだけで」跳び続ける姿からは、

その後、深刻なスランプに陥ることなどまったく想像できなかった。

 

キム・ヨナの存在も大きかっただろう。

大舞台ほど力を発揮する強力なライバルがいたからこそ、

浅田は「負けまい」と歯を食いしばったのだろうし、

切磋琢磨する中でこそ、

己の限界を超えていこうというモチベーションが強烈に働いたのだろう。

当時は一ファンとして抜きつ抜かれつの壮絶な争いを目の当たりにしながら

手に汗を握るのみだったが、
実はあのとき、二人がアスリートとして

最も幸せな時間を過ごしていたんじゃないかと、いまは思える。

 

その後、浅田は苦悩の時期に突入する。 

周りからの期待やプレッシャーは高まるばかり。

そしてその一方で、体の成長とともにバランスが少しずつ変わっていく。

バンクーバーオリンピック以降、

結果が出なくとも「次はなんとか応えなければ」という気持ちを

ひとりで背負いながら静かに闘っている様子を見守る間、

奇妙な罪悪感に襲われたのを覚えている。

「もしかしたら僕らが彼女をダメにしているのかもしれない」、と。

 

<「つむじ風」 2番の歌詞>

・・・・・

考えすぎていつしか立ちすくんだ
自分の影の暗さにまた悩んだり
それでも挑むことを誓い直して
新しい物語を紡ぎ始めた
 
いつも僕らの夢をひとりで背負って
重たいことすら認めずに駆け続けた
 
ごめんねと謝りたいこの気持ちも
あなたはさりげなく笑い飛ばすだろう
深い闇から生まれる光は
何よりまぶしくて 純な涙を誘う
・・・・・

 

しかし、彼女はそんな心配は杞憂であったことをあっけらかんと証明してみせる。

2012年、中国杯とNHK杯を優勝。

そして続くグランプリファイナルも優勝。

そのシーズンは6戦5勝と絶好調だった。

自分の状態を冷静且つ的確に把握するよう努め、

焦りを呑み込むように鍛錬を続けた結果、

新たな成長のための大きな意味のある脱皮を果たすことができたのだ。

ソチでショートを大失敗しながらフリーであの神がかったような演技ができたのは、

この時点で逆境から這い上がる強靭な精神力を養っていたからではなかったか。

 

<「つむじ風」 ブリッジ&大サビ>

・・・・・

世界で一番華麗なつむじ風

軽やかに吹き抜けるやさしい強さだから

愛されるのさ

  

僕らと同じ地上にいて

女神と呼びたくなる力も見せてくれた

深い闇から生まれる光は

何よりまぶしくて 純な涙を誘う

・・・・・

 

弾けるような笑顔と率直な言葉。

真面目でひたむきな姿勢。

神々しいオーラを放ったソチのフリーの佇まいからはおよそ想像しにくい、

とても人間的であたたかい人物像。

どうしても応援したくなってしまう、

彼女の唯一無二の魅力は、

今年の引退会見にも表れていたように思う。

最後の最後で涙が溢れ、

脚をクロスさせたまま後ろを振り向き、しばらく沈黙。

やがて晴れやかな笑顔で向き直ると、こう言った。

 

「スケート人生で経験したことを忘れずに

 これから新たな目標を見つけて

 笑顔で前に進んでいきたいと思っています。

 皆さん応援どうもありがとうございました」

 

個人的なつながりがあるわけではないけれど、

おせっかいババァのように、どうしても思ってしまうのだ。 

これからも軽やかに吹き抜ける「つむじ風」のように、

やさしく強い女性として生きていって欲しいなどと。

 

感謝する権利があるのかさえよくわからない。

でも、この気持はどうしても届けたい。

 

ありがとう。

これからも応援しています。

 

 

(了)

紡希がまだ妻のお腹にいた頃から、決めていたことがある。

 

「生まれ来る我が子から可能な限りたくさんのことを学びとってやろう」

 

 

特に新生児の時期はあらゆるカテゴリーの人間の中で、ある意味最強の状態。

成長率や吸収力は無敵レベルで高く、

“ライバル”としてこれ以上の存在はないと思えたからだ。

一方で、新生児は人間の最もナチュラルな様子を
体現してくれる存在なのでは? とも思った。

自分は何者なのか? 

自分の起源はどこにあるのか?

そういったものを我が子が示してくれるのではないかという、

極めてエゴイスティックな期待があったことも否定できない。

 

 

実際に生まれてみて、そういう想いで接してみると、

確かに学ぶことが多いことに気づく。

たとえば自分のことを伝えようとする気迫。

これはもう化け物級にスゴイ。

 

 

「寂しいから抱っこして欲しいの!」

「ウンチが出て気持ち悪いからなんとかしてよ!」

「オッパイをちょうだい!オッパイをちょうだいと言ってるでしょっ!!」

 

 

こういった気持ちを精いっぱいの泣き声と歪んだ表情、

限りなく透明な涙や宇宙を切り裂かんばかりの不規則なバタ足やバタ腕(?)で表現する。

彼女は手段が限られている中でも常に擦り切れそうなほど全力なのだ。

 

 

全身全霊をかけて何かを伝えようとする姿勢を、

40歳の俺は果たして見せているだろうか?

自分にとって本当に大切なことを、

他者にも理解してもらおうとする努力を怠らずに過ごせているだろうか?

自戒の念が募っていく・・・。

 

 

別の言い方をすれば、

彼女は「生きる」ということに関して切ないほど必死であり、

本気であり、直線的なのだということ。

その姿はあまりにも眩しく、

我が身を振り返れば恥ずかしさでいたたまれなくなるばかり。

なりふりかまわない「がむしゃらさ」みたいなもの、

言わば生に対する執着を、

我々はみんな生まれた瞬間からもっていたはずなのに、

余計な経験や知恵を蓄える過程で、

そのキラキラした美しいエネルギーを

自ら薄めていってしまっているのかもしれない。

そんなことにも思い至らされる毎日だ。

 

 

そして昨日、紡希は初めての予防接種に臨んだ。

1歳以下に受けるべき注射の中では最も痛いと言われる一本を受けた瞬間、

それまでの2本とは明らかに違う鋭利な苦しみを泣き声に滲ませた彼女を見て、

親としてドキリとした。

その痛みを自分のことのように感じたのと同時に、

何かあったときにこの子を守ってやれるのは

俺たち夫婦しかいないという

あたりまえの理を突き付けられたようで身が引き締まった。

 

 

彼女にとっては歴史的な痛み。

きっとしばらく泣きやまないだろう。

夜中に思い出してまた苦しくなることもあるかもしれない。

仕方ない、仕方ない。

そう思って見つめていたのだが、

数秒後、紡希はいきなり泣きやみ、

何事もなかったようなキョトンとした表情に戻った。

その後も医者に恨みを抱くような素振りはなく、

恐怖をトラウマ化するような弱さも見せず、

彼女はもう次の瞬間を精いっぱい生きていた。

 

 

「ポジティブ」などという陳腐な言葉では括れない、

雄々しさにも近い清々しさ、あるいは潔さ。

まるで「今と未来しか見えない」と豪語せんばかりの彼女の様子に、

ただただ頭が下がる思いだった。

 

 

40男の生き方さえ見直させる新生児の存在感。

しばらく鍛えていただけそうだ。

 



(了)

10月20日に娘が生まれました。

名を紡希(つむぎ)と言います。

夫婦ふたり、こんな気持ちで名づけました。↓

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

希望を紡ぐ。

幸せを紡ぐ。

人と人との絆を紡ぐ。

 

想いや経験や思考の糸を、

あなただけの方法で紡ぎなさい。

 

  

能力も個性も理想も、

希であること、

あなただけのものであることを大切にしなさい。

 

  

人を結びつける役割を担いつつ、

我々が強く望んで授かったその命を、人生を、

つまりはあなた自身の物語を、

自信を持って紡ぎあげて欲しいと

希(こいねが)うばかりです。

 

  

夫・湯川史樹    妻・湯川菜穂子

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

40時間の陣痛に耐えて紡希を生んでくれた妻には、

もうLoveとRespectしかありません。

大切な人が絶叫している脇で殆ど何もしてあげられなかった私は、

男なんてハナクソ以下!

超頑張って生き抜いて辿り着ける最高の役職が「素敵なハナクソ」、

と思うようになりました(笑)

 

 

娘が生まれて、その子が愛おしいのは言うまでもないことです。

笑顔はもちろん、泣き顔も、ふてくされたような顔も、

沈思黙考する眼差しも、モナリザのような口元も、

ポロポロとむけてくる皮膚も、意外なタイミングで噴出する排便さえも、

すべてが可愛いと思ってしまいます。

 

私の場合、世間でよく言われる、

「この子のために頑張らなきゃ」とか、

「父親としての責任がズシリ・・・」というような立派な境地には未だ達することができず、

ただただ驚くほど単純に我が子が「愛おしい」のです。

そしてそんな経験から新たな感情、というか、

新たな「感覚」が私の中で生まれました。

それを表す言葉として最も近いのは「慈しみ」(いつくしみ)、でしょうか。

 

小学生の頃だったか、

ある詩の中に「いつくしむ」という単語が出てきてたのを覚えています。

息子に「いつくしむ」という言葉の意味を訊かれた父親が、

その子の頭をポンポンと軽く叩く、という内容だったと記憶しています。

それを読んだ時、なんとなく意味がわかったように思っていましたが、

このたびハッキリしました。

今、私が感じているのは「慈しみ」以外の何物でもないなぁ、と。

 

 

世界全体を包み込みそうな壮大な広がりと同時に、

向き合った者同士に限定された空間のその一瞬、その刹那、

そんなものを感じさせてくれる不思議な言葉。
どこまでも深く、とめどなく、

物事の意味や理由なんてどうでもいいとさえ思わせてしまう奇妙な感覚です。
ひとりの男が40歳になって初めてひとつの感覚を獲得するだなんて、

ちょっとした口惜しさも伴うエピソードですが、

事実なんだから仕方ありません。

これは娘の誕生抜きに得ることはできなかったものですから、

すなわち私は妻に敗けた直後に、娘にも敗けたことになります。

それも圧倒的な敗北です。

そして圧倒的に敗けるということがこれほど心地のいいものであることも、

初めて知ることとなりました。

 

 

これから私は大いなる敗者として、

新たに獲得したこの「いつくしみ」という武器だけを頼りに、

素敵なハナクソになるべく自己や俗世と闘ってゆきます。

その様子をケタケタと嗤いながらでも見守ってやってください。

どうぞよろしくお願い致します。
 

 


 

 

  

 

 

 

(了)