エロシェンコと高杉一郎 | DVD放浪記

エロシェンコと高杉一郎

もうずいぶん昔の話になる。

 

児童向けの偕成社文庫(といっても通常の文庫よりひとまわり大きなサイズ)の既刊本リストを眺めていた私は、少し前からその名が気になっていた、ロシアの盲目の放浪詩人エロシェンコの名前を見つけた。で、このときオヤと思ったのは、訳者が高杉一郎だったことだ。


当時の私にとって彼はなによりも英国児童文学の傑作、フィリパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』の訳者そのひとであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ということは、その本はエロシェンコの英訳本からの重訳ということなのか? なあんておバカなことをボンヤリ考えたものだった。

 

結局、このときは購入には至らなかったけれど(注文してもこの時点で事実上絶版状態だったと思う)、その後、高杉一郎がシベリア抑留という過酷なロシア体験を持つ人物だったこと、そして彼は、ザメンホフが提唱した “世界共通語” に通じたエスペランティストでもあったことを知った。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回小学館世界J文学館に収録された『エロシェンコ作品集』は、1959年に刊行されたみすず書房版の本文を底本とし、佐々木照央(てるひろ)が編集にあたったもので、解説も彼が担当している。

 

 

 

 

収録作品は、おおきく童話としてくくられてしまうのだろうけれど、佐々木照央の解説は、それらの背後にひそむものをていねいに解き明かしてくれている。そして、そうした “絵解き” を抜きにして読んでも、これらは21世紀の今なお寓話として直接訴えかけてくるものばかりなのである。

 

 

1890年ロシアに生まれたエロシェンコは4歳のとき失明。盲学校卒業後にまずバイオリニストとして立ち、当時国際共通語として考案されたエスペラントに習熟してからは英語もものにして欧州各国を訪れる。その後来日して国内の知識人らと交流し、日本語で童話を書き、中国に渡っては魯迅らと親交を結んだ(魯迅はエロシェンコの作品を日本語から中国語に翻訳している)。

 

彼がどのように日本語を学んだのかは知らないけれど、以下のようなことば遊びを読むと、耳から同音異義語の面白さに触れていたであろうことが窺われる。これって日本語を学ぶ外国人が読んだらどう感じるんだろうか……(^^;

 

寒い国のひとびとの毎日食べていたのは、競草(きょうそう)、闘草(とうそう)などの実でした。それを、いま日本人が御飯やパンを食べるように、毎日食べていたんです。また、その国のひとびとは戦草(せんそう)という花を集めては、それをうまそうに飲んでいました。戦草の実からも一種のパンをこしらえて食べているひとびとがすくなくはありませんでした。

 

「理草花(りそうばな)」

 

 

ラストに置かれた「ある孤独な魂ーモスクワ第一盲学校の思い出」は、エロシェンコが9歳から9年間在籍した盲学校での生活を回想したもので、ぜひ国語の教科書に採用してほしいような、切なくも愉快きわまりない絶品だ。(^^; これは初出原文のエスペラントから高杉一郎が和訳したものという。

 

私は高杉一郎のおかげでエロシェンコを知ることができたけれど、高杉一郎のことはなにも知らないままだったのだ。

 

 

 

 

ちなみに、エロシェンコは英国滞在時代にクロポトキンの知遇を得ているが、高杉一郎はそのクロポトキンの著作の翻訳も手がけている。