不治の病
夕刻になって、久しぶりに地元の眼科を訪れた。
メガネの左側のフレームを踏みつけて折ってしまったため、この機会にレンズの調整をしたうえで新調しようと考えたのだ。まだまだ本は読みたい私である。
土曜日は混んでいるかと思ったら、直前まで雨が降っていたせいか、待合室は意外に空いていた。
しばらくして、私とたいして歳の違わぬ(と思われる)男性がやって来た。どうやら先に検査を受けている家族の付き添いで、院外にあるトイレから戻ってきたところらしい。検査技師の女性を呼び止めて、今いま検査室には入れなくても、その後の医師の診察には立ち会えるかしきりに気にしていた。
最初、(身長から推して)少・中学生の孫に付き添いできたおじいさんかと思ったのだが、検査を受けた子どもが出てくると、自身のことを「おとうさんは……」と呼んでいた。
その親子の会話はいやでも耳に入ってきた。
どうやら、子どもは普通のメガネと乱視用に調整した2種類のレンズを処方してもらっているところらしい。父親は「強い乱視用に調整したメガネを無理してかけているとかえって状態が悪くなることがある」ことを強調していて、そうした懸念を担当医に伝えたいらしかった。子どもはきちんと父親の話を理解しているようだった。
父親は現在抗がん剤の投与中で、糖尿病のせいで危うく失明しかけたことがあるが、ギリギリのところで難を逃れ……といったことまで延々としゃべりまくっていた。薬の作用について分子レベルでの働きまで説明していて、かなりの “医療通” らしい。こういう人物が患者の横にいては、医師はやりづらいだろうなと思った。
はじめは中学生になったぐらいかに思えた子どもは、その後、18か19才ぐらいとわかった。じきに、ふたりは医師の診察室に呼び込まれていった。
医師とのやり取りは基本聞こえないのだが、待合室側にある受付とのドアがすこし開いていたので、くぐもったやり取りの雰囲気が伝わってきた。最後に医師の声がすこし大きくなり「……そのあたりは、メガネ担当の方とよく相談なさってください」ということばがはっきり聞こえてきた。
※
眼底撮影のため瞳孔を開く薬を投与され、その効果がまだ残っている(だから帰路の自動車運転は厳禁と申し渡されている)ので、医院を出ても光がぼうっと感じられる。それでも、書店を訪れてしまうのは、もう “びょーき” 以外のなにものでもないだろう。これははもう “不治の病” で、どんな名医でも匙を投げるに違いない。(^^;
雨天で店内に引き込まれたワゴン上に並ぶ古本に顔を近づけ、背表紙をなめるように見ていくと、副島隆彦がハリウッド映画を通して政治思想あれこれを論じたという本が目にはいった。
すこし前に西森マリーの『カバールの民衆「洗脳」装置としてのハリウッド映画の正体』を読んでいたので、若干興味をそそられたものの、このときは購入には至らなかった。個人的に陰謀論自体は嫌いではないのだけれど……(^^;
◆ 西森マリー?