健康診断の日の授業(中学編⑤) | DVD放浪記

健康診断の日の授業(中学編⑤)

中学生時代は健康診断の日が待ち遠しかった。別に身体検査で下着姿になってどーたらという話ではない。(^^; その時間がA先生の英語の授業時間とぶつかってくれることを、私はいつも祈っていたものだった。 

どういうことか?

 


健康診断の時間がやって来ると、まず、クラスの数人が教室を出て検査会場に向かい、その彼らが戻ってくると、次の数人がまた教室から抜けていくという方式がとられていた。つまり、全員の検査が終了するまでは、常に数人の生徒が不在となる。不在生徒の数をミニマムにすることで授業への影響を最小限に抑えようとする工夫だったのだろう。

A先生は決して授業をおろそかにするような人ではなかった。だから、健康診断が自分の担当クラスにぶつかったときは、きっぱりと授業を止めてしまったのだ! で、何をしたか? 最初の生徒の一団が教室を出ていくと、先生はなにやら縦長の本を取り出して、「今日は、全員が戻ってくるまで、この本の中から怪談を選んでお話しすることにします」と宣言して、悠然とその話を読み上げ始めたのだった。それは、ラフカディオ・ハーンの “Kwaidan” の中から抜き出した英文だった……なんてオチではない。翻訳ものの幽霊話だったのだ! もちろん、教科書の内容などとはまったく無関係のしろものである。

イントロはたぶん飛ばされて、クライマックスに向かう部分から始まり、先生は抑えたトーンで語りを進めながら、要所に沈黙を挟み、目を大きく見開いてみせる。もともとネコっぽい顔立ちの先生だったが、このときばかりは(失礼ながら)一種 “化け猫” を思わせる雰囲気が感じられたものだった。

途中で中座し、足早に戻ってきた生徒らは、まだ続いている話にすぐさま聞き入ったものだったが、最後に検査を終えた生徒が戻ってくると、A先生はパタンと本を閉じ、(話を最後まで続けてほしいという生徒らの要望はキッパリ無視して)容赦なく本来の授業に戻るのだった。そう、A先生は決して授業をおろそかにするような人ではなかったのだ。



先生が読み上げていた本は、その判型と翻訳ものの怪奇談ということから、なんとなくハヤカワのポケミスではないかなと想像していたのだけれど、次の健康診断の機会に表紙のタイトルがはっきりと見えた! やっぱりポケミスの『幻想と怪奇』だった(①、②のどちらだったかは不明)。

 

 

 

 

 

今にして思うと、先生は「ストーリー・テリング(本の読み聞かせ)」に興味を持っていて、以前の学校(の図書室など)でそれを実践していたのかもしれない。

短時間とはいえ、生徒が授業の一部を受けられなければ、それは正規の授業ではないとのお考えだったのだろうか? これもまた、A先生に確認することなくこの歳まできてしまった。 (^^;



もっとも、これに関連して、私にはひとつ “恨み言” がある。一年生の最後の授業のとき、卒業生を送る行事だったかの手伝いに(学級委員でもないというのに)私ともう一人が小一時間駆り出されて、戻ってきたときには授業はもう終わっていたのだ。なんでも、一年を通じて据え置かれていた「英語の発音記号」の説明があったというのだ! (@@; 

まさに、茫然自失 失望落胆白髪三千丈アルよの世界である。

もちろん、学年度最後の授業なので、私たち不在組を待つわけにいかないことはよくわかる。わかるけれど、A先生の授業に関してこれほど残念無念だったことはなかった。そして、いまだ改善の見込みのない “英語の発音ダメダメ病” の遠因はここにあると、今なお恨みがましく思い続ける私なのである。 (T-T)