『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』
「生粋の文系が模索するサイエンスの最前線」のサブタイトルが付された『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』は、数々のドキュメンタリー、ノンフィクション作品で知られる森達也が行った、気鋭の科学者ら10人との対談(初出はPR雑誌「ちくま」2012年4月〜2014年11月)をまとめて2015年に単行本として刊行されたもので、昨年暮れに文庫化されたものを今回読んでみた。
でも、これは、森達也の本であるからして、当然ながら、ありきたりな対談集ではない。森が「私たちはどこから来て、どこへ行くのか。私たちは何ものか。」という疑問にどこまでもこだわり、問い続ける旅なのだ。
はじめに
第1章 なぜ人は死ぬのだろうかーー福岡新一(生物学者)
第2章 人はどこから来たかーー諏訪元(人類学者)
第3章 進化とはどういうものかーー長谷川寿一(進化生態学者)
第4章 生きているとはどういうことかーー団まりな(生物学者)
第5章 死を決めているのは誰かーー田沼靖一(生物学者)
第6章 宇宙に生命はいるかーー長沼毅(生物学者)
第7章 宇宙はこれからどうなるかーー村山斉(物理学者)
第8章 私とは誰なのかーー藤井直敬(脳科学者)
第9章 なぜ脳はこんな問いをするのかーー池谷裕二(脳科学者)
第10章 科学は何を信じるのかーー竹内薫(サイエンス作家)
第11章 私はどこから来て、どこへ行くのかーー森達也
「我々はどこから来たのか。我々は何ものなのか。我々はどこへ行くのか。」はポール・ゴーギャンの絵画に冠されたタイトルだが、この問いに向き合った作家のひとりに小松左京がいた。『果てしなき流れの果てに』や『継ぐのは誰か』を思い浮かべる人が多いだろう。そして、彼にも、当時第一線の学者12人との対談をまとめた『地球を考える』があったことを思い出す人もいることだろう。
だが、同じ(PR雑誌初出の)対談集といっても、両者には大きな違いがある。『地球を考える』は、文字どおり、対談の文字起こしの体裁に終始しているが、『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』では、対談の合間に、森による独白、注釈、人物スケッチなどが随時割って入ってくるのだ。そして、どこまでも森が、自身の問題意識を突き詰める方向に進んでいくので、ときに対談相手を当惑させ、考えさせることもある。ただ、それらが決してマイナスには働いていないところはさすがである。
森は、一般向けレベルの科学解説書は相当読み込んでいることがうかがわれ、無意味な質問はないといってよく(編集段階で取り除かれているのかもしれないが)、議論が散漫に拡散し薄まっていくことはない。
個々の科学者の著作に通じた人にとって新たな情報は少ないかもしれないけれど、今日の "進化論" ですべて説明がつくわけではなく、一種インテリジェント・デザイン説へ傾斜したくなる心情を吐露する人がけっこういるあたりに興味を引かれる人は多いかもしれない。
個人的には、「例えば細胞のふるまいについて記述するとき、団さんは擬人化をよく使いますね。でも、科学者の多くは擬人化をきらう」とか、「研究者の性差があるんですか」「ありますね。男は単純で競争好き」といったやりとりが出てくる団まりなとの対談が強く印象に残っている。 (^^;
小松左京はもういないが、いまは(性格は異なるが)森達也がいる。ちょっとそんなことを思わせ、次の企画を期待させる対談集だ。
※
ちなみに、同じタイトルで別の本もヒットするが、こちらは宮台真司の本なので、お間違えなきように! (^^;