角川の「バラエティ」 "復活の日"
今日は、部屋のクリーニング/リフォームの件で業者さんと打ち合わせ。とりあえず、水まわりのところから作業開始。
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私が大学生の頃、角川春樹が映画製作に乗り出し、あわせて映画雑誌「バラエティ」が創刊された。といっても、基本は自社映画の宣伝チラシのようなもので、角川映画ファンならともかく、資料的価値などあるわけないと私なんかは決めつけ、見下していたものだった。
でも、その考えがちょっと変わってきた。最近の書籍整理の副産物として、小松左京原作の映画「復活の日」の2枚組みBOXセットが出てきて、その中に小冊子「分析採録 復活の日 クロニクル」なるものがが封入されていたのだ。
映画「復活の日」が日本公開されたのは
1980年6月26日のことです。本ブックレッ
トは角川書店が発行していた雑誌「バラエ
ティ」の特集記事を抜粋転載したものを中
心に、当時の資料をコンパクトにまとめま
した。公開時の話題性や映画をとりまく熱
気をお伝えすることができれば幸いです。
とあるように、これがめっぽう面白かったのだ。
まあ、ヤクザ監督の深作欣二、鬼のカメラマン木村大作、国内はもちろん、海外のベテラン俳優も多数起用し、チリ海軍から潜水艦、ヘリコプター、その他船舶の提供を受け、長期南極ロケを敢行した末に完成した作品だから、話題にはことかかない(南米の教会内でのシーンに登場した骸骨もミイラも本物で、ペルーのクスコの博物館から借り受けてきたものだとか……)。
なかでも興味深かったのは、海外ロケの撮影時のハリウッド俳優との軋轢と、南極ロケに同行したチリ海軍の協力ぶりだ。
アメリカ合衆国最後の大統領を演じたグレン・フォードはセリフが覚えられず「カンペ」を要求し、「オレは何十年とこのスタイルでハリウッドで映画を撮ってきた」「うまくゴマかせる、オレもプロさ」と言い張る。やむなくその方法で撮影を進めるが、彼の目がチラとセリフの紙の方向に動くのが、完璧主義者の木村カメラマンには我慢できない。ついには「テメェ、ブッ殺すぞ!」とやらかしたらしい。 (^^;
既にアラスカロケ中にヒロインのマリト役がマリリン・ハセットからオリビア・ハッセーに交代した後で、一時は彼もまた降板かと危ぶまれたらしい。大統領執務室における何気ない一連の動作について何度もリテイク(撮り直し)が繰り返されたときは、泣きながら控え室に駆けこんで2時間もワメきつづけたという。その彼も粘って18回目にOKが出たわけだが、こうしたやりとりを見守ったその場の共演陣やカナダのスタッフたちにも、日本人スタッフの本気度が伝わったことだろう。まあ、リテイク伝説には、ウィリアム・ワイラーやキューブリックなどいろいろ桁外れな例があるわけだが。
また、この映画ではカナダとチリの潜水艦を借り受けることができたが、特にチリは、海軍の南極訓練航海という名目で、潜水艦以外に伴走船として駆逐艦とヘリコプター2機も提供してくれたという(砕氷観光船は別チャーター)。
スクリューが傷むといって氷を見るたびに怯える潜水艦を引きずりまわし、アメリカのパーマー基地に着いて水を補給したあくる日、夜が明けると周辺は全面のパックアイス(海水が凍結して生じた氷)で潜水艦は出るに出られなくなってしまう! 砕氷船で氷を割りながらそのあとをついていくのだが、10キロほどの距離を1日がかりで脱出することになり、その間に撮りまくったものが「復活の日」の南極シーンのメインになる。
操船についての日本サイドからの細かな注文にチリの司令官は「ホンダのオートバイとは違う。これは潜水艦なんだ。三メートル、五メートルをバックだの前進だの、ターンしろなどといったって、できるわけがない。ジャパニーズ・クルーはクレイジー」と怒りながらもある程度注文どおりに対応してくれたという。木村カメラマンも語る。
俺がヘリコプターの撮影で付き合った少佐なんかは、俺が「潜水艦が走っている軸先ギリギリ、水面から1メートルぐらいに降り、その軸先をなめるように並行移動したい」といったら、その通りにヘリを操ってしまったからね。チリの軍人教育は凄いね。ヘリコプターのパイロットは最高にうまかった。
いまさら過去の「バラエティ」誌をひっくり返すわけにもいかないわけで、この小冊子はなかなか貴重な資料といっていいと思う。この手のものは、古書市場ではどう扱われているんだろうか?
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そうそう、原作者小松左京はチリ海軍の潜水艦の姿を見て涙をこぼしたというが、それは、遂に潜水艦の調達に成功した喜びからだったのだろうか? それとも、その潜水艦が "涙滴型" ではなかったことによる深い失望からの涙だったのだろうか? (^^;