これは、私の母が懸命に生きた証を自分の記憶に残したくて綴る、記録です。
母のこと⑦は、こちらから
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2度目の転移がわかってから
母の治療方針について
父も交えての話し合いをしました。
初めての転移がわかったときに
父は間髪入れず
助かるのであれば、長生きしてもらうための積極的な手術をするしかない
と、迷っている私たちに断言し
手術を行う決定をしてくれたのが
父でした。
今回も
どうしたものかと
途方に暮れる私たちを、
何かの決断へと導いてくれる存在が父
であると、
どこかで私はひそかに
父に期待を
寄せていたのだと思います。
しかし今回の父からでた言葉は
年齢を重ねてくるとみんな何かしら病のようなものを抱えて生きている。
だけでした。
前回のように
長生きするために積極的な抗がん剤治療で頑張ろう
と言って
決めてくれることを期待していた私には、
とてつもなく期待はずれな意見
のように感じられました。
父に決めてもらいたかった、、、。
父から積極的に頑張ろうって言ってもらいたかった、、、。
そんな時に母は
色々な心配ごとがあって、まだ死ねないと
本音を語り、涙ぐみました。
父は
だったら、ポートを入れる手術をして抗がん剤治療するしかないやん
と言い
その場が一瞬なごみました。
なんだか父のことを
薄情だ
と、どこかしらで責めていましたが、
冷静になり
後々、考えてみれば
父がいちばん、母の気持ちを汲み取っていたのかもしれません。
なぜなら私は、
母を失ってしまうことへの怯えから
母の意見を尊重したいと思いつつも
母の気持ちを汲み取らず
辛くても、副作用があっても
私はこの世に取り残されることが苦しくて
母に、抗がん剤治療をしてほしいと
どこかで強く願っていたのかもしれません。
母のこと⑨へ続く
🌈こころのはぐ
心理カウンセラー田中春菜