これは、私の母が懸命に生きた証を自分の記憶に残したくて綴る、記録です。




母のこと③はこちらから
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当初、4時間はかかると

告げられていた手術でしたが、

2時間で終えることができ

主治医からも

「ラッキーだったね」



言っていただきました。


今回の転移先は子宮でした。



主治医は、

母から取り除かれた子宮を

見せながら私に向って

今回の手術内容を

説明してくださっていましたが

私の耳には届かず、



私は母から取り除かれたものをみて感謝の思いが即、こみあげてきました。





「私の故郷だ」



こんな機会めったにないと思い



「遠い、遠いその昔お世話になり、私を育ててくれて守ってくれて、ありがとうございました」



と心の中で伝え、

同時に私は今、

何を問われているのだろうか



想いを馳せるのに必死でした。




今回も
生検の結果を教えていただきました。


  抗がん剤はほとんど効果がみられませんとの結果です。



この時代、

薬が効いていたかどうか、

そんなことまで調べると

わかることに驚きました。


副作用で入院にまでなり、

頑張ったのにな、、、


残酷というか
絶望というか言葉になりません。


とはいえ、


今回は2週間ちょっとで

退院することができ、

体調も良さそうだったので

帰り道にふたりで

スタバへ寄ってから


帰宅しました。


その後もおかげさまで順調に過ごし、

  検査も3か月後でいいよ


と言われていたので、


私たち家族は健康であることに感謝し、





今ここにある、この幸せを毎日味わって大切に過ごしていました。





いよいよ退院から3か月。


今回は健康になるために積極的に行った手術!



もう、再発も転移もなく

今度こそ治ったと

誰もが信じ疑わなかったはずでしたが、

血液腫瘍マーカが5未満が正常なところ

結果は


412を超えていました。


私たちも驚きましたが、

主治医も私たちと同じように

驚いていたようでした。


私たちは動揺を隠せないまま、

また再検査へという流れで

立て込んだ毎日。


そして、この3年間ずっとそばにある


「死」への恐怖。




いつ死んでもおかしくない人がそばにいて、毎日「今日は大丈夫か」と一喜一憂し。




朝になると「今日は生きてた」と安堵する。




「死」と隣合わせの日々。



そのおかげで、

  この瞬間、瞬間を精一杯味わって


後悔しないよう

幸せに生きようと思える反面、

「死」に対する覚悟も必要で





とてもしんどい日々と、隣合わせの毎日。





母のこと⑤に続く






🌈こころのはぐ
心理カウンセラー田中春菜