これは、私の母が懸命に生きた証を自分の記憶に残したくて綴る、記録です。![](https://stat100.ameba.jp/ameblo/entry_designs/v1/sources/assets/limited003_heading_line.png)
母のこと②はこちらから
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近年、
抗がん剤の副作用は昔より
軽くなったと耳にしていましたが、
母には全く合わず
抗がん剤の副作用で
痙攣をおこして
またもや家で倒れました。![](https://stat100.ameba.jp/ameblo/entry_designs/v1/sources/assets/limited003_heading_line.png)
この日は私が家から電話で
救急車を呼ぶのですが
普段、救急車の呼び出しは
「119」
と
頭で理解しているのに、
呼び出し口から
お客様のおかけになった電話番号は使われておりません
とのアナウンス。
私はパニックで手が震え、一生懸命
「199」とプッシュしていました。
短縮授業になっていた小学校から
ちょうど、息子も帰ってきてくれて、
動揺する私とは別に
冷静に救急隊さんの指示に従い
協力しながら病院へ無事
向かうことができました。
抗がん剤治療による
酷い腸炎だったようです。
この頃すでにコロナが始まっており、
面会も制限され
入院中の2週間ほど会えず、
スマホで状況確認することしかできない
不安な毎日でした。![](https://stat100.ameba.jp/ameblo/entry_designs/v1/sources/assets/limited003_heading_line.png)
母は入院中、
ずっと腹痛が続いていたようで
痛みをしきりに訴えていましたが、
主治医から寝たきりになると
悪化すると
告げられ、強制的に
毎日リハビリをさせられていたようです。
その甲斐あってか、
退院する日に病室ヘ迎えに行くと
元気そうで安心しました
またこの時、涙の再会となるのです。
無事に抗がん剤治療を終え
2021年今年の春に
![](https://stat100.ameba.jp/ameblo/entry_designs/v1/sources/assets/limited018_heading01_bg.png)
健康に過ごすための前向きな手術を行いました!
緊急で手術したときとは状況は違い、
手術当日、
私も病室へあがる許可をいただき、
母と私は看護師さんに案内されながら
歩いて手術室へ向かいました。
到着した母と私は
手術室の前に立ち
扉が開くのを待ちました。
何もできなかった私は
そっと母の背中に触れ
ゆっくりと母の瞳をのぞきました。
不安や色々な思いがあった母の瞳には
うっすら涙が浮かんでいました。![](https://stat100.ameba.jp/ameblo/entry_designs/v1/sources/assets/limited003_heading_line.png)
なんとか私も涙をこらえ、
手術室へ入る母の背中を見送りました。
手術室の扉が閉まると、
扉の向こう側から
看護師さんに
名前や年齢を尋ねられた母が
いつもの声で応えているのが
うっすらと聞こえ、
私はただ、ただ
母の無事を祈るのでした、、、。![](https://stat100.ameba.jp/ameblo/entry_designs/v1/sources/assets/limited003_heading_line.png)
母のこと④に続く
🌈こころのはぐ
心理カウンセラー田中春菜