これは、私の母が懸命に生きた証を自分の記憶に残したくて綴る、記録です。




母のこと②はこちらから
🔻🔻🔻🔻🔻🔻🔻🔻🔻


近年、

抗がん剤の副作用は昔より

軽くなったと耳にしていましたが、

母には全く合わず

抗がん剤の副作用で

痙攣をおこして

またもや家で倒れました。




この日は私が家から電話で

救急車を呼ぶのですが

普段、救急車の呼び出しは

「119」



頭で理解しているのに、

呼び出し口から


  お客様のおかけになった電話番号は使われておりません


とのアナウンス。


私はパニックで手が震え、一生懸命

「199」とプッシュしていました。


短縮授業になっていた小学校から

ちょうど、息子も帰ってきてくれて、

動揺する私とは別に

冷静に救急隊さんの指示に従い

協力しながら病院へ無事

向かうことができました。


抗がん剤治療による
酷い腸炎だったようです。


この頃すでにコロナが始まっており、

面会も制限され

入院中の2週間ほど会えず、

スマホで状況確認することしかできない

不安な毎日でした。



母は入院中、

ずっと腹痛が続いていたようで

痛みをしきりに訴えていましたが、

主治医から寝たきりになると

悪化すると

告げられ、強制的に

毎日リハビリをさせられていたようです。


その甲斐あってか、

退院する日に病室ヘ迎えに行くと


元気そうで安心しました



またこの時、涙の再会となるのです。


無事に抗がん剤治療を終え

2021年今年の春に


健康に過ごすための前向きな手術を行いました!



緊急で手術したときとは状況は違い、

手術当日、

私も病室へあがる許可をいただき、

母と私は看護師さんに案内されながら

歩いて手術室へ向かいました。


到着した母と私は

手術室の前に立ち

扉が開くのを待ちました。


何もできなかった私は

そっと母の背中に触れ

ゆっくりと母の瞳をのぞきました。


不安や色々な思いがあった母の瞳には

うっすら涙が浮かんでいました。



なんとか私も涙をこらえ、

手術室へ入る母の背中を見送りました。


手術室の扉が閉まると、

扉の向こう側から

看護師さんに
名前や年齢を尋ねられた母が

いつもの声で応えているのが

うっすらと聞こえ、


私はただ、ただ

母の無事を祈るのでした、、、。




母のこと④に続く




🌈こころのはぐ
心理カウンセラー田中春菜