これは、私の母が懸命に生きた証を自分の記憶に残したくて綴る、記録です。![](https://stat100.ameba.jp/ameblo/entry_designs/v1/sources/assets/limited003_heading_line.png)
母のこと①はこちらから
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やっと父が病院へ到着し、
私は取り付く島もなく
小学校へ子どもを迎えに走りました。
7月上旬の
夕方17時半の小学校のグラウンド。
事情を知った小学校の先生方数名が
息子と運動場で
野球をしてくれていました。
迎えにきた私に気づいた息子は
帰る支度をし、
お世話になった先生方にお礼をして、
ふたりで運動場を泣きながら
足早に病院へ向かいました。
私と息子と父はやっと病院で合流し、
母の手術が終わる3時間を
不安に苛まれながら過ごしたのです。
無事、手術を終え母はICUに運ばれました。
母は意識もうろうとしていましたが、
私たちに
「ありがとう、ありがとう」
と何度も言い、
また眠りにつきました。
父があんなに泣くなんて知らなかった。![](https://stat100.ameba.jp/ameblo/entry_designs/v1/sources/assets/limited003_heading_line.png)
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父があんなに泣く姿なんて見たことがなかった。
母が入院し退院する1か月の間
私と父は毎日、泣いて過ごしました。
生検の結果、
母のがんはステージⅣ
にまで及んでいたのです。
じつは。
母が倒れる前に
がんの兆候らしい体調の変化はありました。
痩せてきたな〜。
最近お腹が痛いな〜。
お腹の調子、悪いな〜。
ここには書ききれないことを
言葉にしており、
「病院で診てもらったら?」
と病院嫌いの母に
《きっと病院へは行かないだろうな》![](https://stat100.ameba.jp/ameblo/entry_designs/v1/sources/assets/limited003_heading_line.png)
そんな
ネガティブな思いから伝えていました。
後悔してもしかたないことですが、
無理矢理にでも病院へ連れて行き
検査を受けて早期発見できていれば
こんなことにならずに済んだのかな
と
自責の念に苛まれるばかりです。
無事に退院し、
1週間に1度検査し、
体調も安定し1ヶ月に1度の検査に減り、
検査も3ヶ月に1度、
主治医から
「そろそろ検査も
半年に1回でもいいかな」と言ってもらい
病状も良くなっていたし
再発や転移も見られなかったので、
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もう治ったんだ
と
安心して喜んでいた矢先の出来事です。
緊急手術から1年経ったある日の検査で血液腫瘍マーカに異常がでました。![](https://stat100.ameba.jp/ameblo/entry_designs/v1/sources/assets/limited003_heading_line.png)
MRI・CT・PETと入念に検査を行った結果、
転移していました。
以前にも増して、
健康であることに感謝し
もう病気は治ったと信じて
生活していた矢先のことでした、、、。
母は健康であることを願い、
50年もののヘビースモーカーでしたが
病をきっかけに、ピタリと禁煙もしました。
私は無神論者で
神さまがいるかどうかは知りません。
神社にも用事がないので行きません。
そんな私でも
母のためならと想い、
珍しく
![](https://stat100.ameba.jp/ameblo/entry_designs/v1/sources/assets/natural07_heading_underline.png)
「ガン封じ」
の神社を必死に探し、
家族でお参りにも行きました。
なんなんだよ。期待していたのに。
今まで神さまにお願いごとしたことないのに、、、![](https://stat100.ameba.jp/ameblo/entry_designs/v1/sources/assets/limited003_heading_line.png)
ひとつくらい叶えてくれたっていいじゃない。
期待はすっかり裏切られ
母は2020年の夏から半年間、
抗がん剤治療に専念することになりました。
母のこと③に続く
🌈こころのはぐ
心理カウンセラー田中春菜