これは、私の母が懸命に生きた証を自分の記憶に残したくて綴る、記録です。



     母のこと①はこちらから

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やっと父が病院へ到着し、

私は取り付く島もなく

小学校へ子どもを迎えに走りました。


7月上旬の
夕方17時半の小学校のグラウンド。


事情を知った小学校の先生方数名が

息子と運動場で

野球をしてくれていました。


迎えにきた私に気づいた息子は

帰る支度をし、

お世話になった先生方にお礼をして、

ふたりで運動場を泣きながら

足早に病院へ向かいました。


私と息子と父はやっと病院で合流し、

母の手術が終わる3時間を

不安に苛まれながら過ごしたのです。


無事、手術を終え母はICUに運ばれました。


母は意識もうろうとしていましたが、

私たちに

「ありがとう、ありがとう」


と何度も言い、

また眠りにつきました。


父があんなに泣くなんて知らなかった。



父があんなに泣く姿なんて見たことがなかった。



母が入院し退院する1か月の間
私と父は毎日、泣いて過ごしました。


生検の結果、

母のがんはステージⅣ


にまで及んでいたのです。


 じつは。


母が倒れる前に
がんの兆候らしい体調の変化はありました。


痩せてきたな〜。

最近お腹が痛いな〜。

お腹の調子、悪いな〜。


ここには書ききれないことを
言葉にしており、

「病院で診てもらったら?」


と病院嫌いの母に

《きっと病院へは行かないだろうな》




そんな
ネガティブな思いから伝えていました。


後悔してもしかたないことですが、

無理矢理にでも病院へ連れて行き

検査を受けて早期発見できていれば

こんなことにならずに済んだのかな



自責の念に苛まれるばかりです。


無事に退院し、

1週間に1度検査し、

体調も安定し1ヶ月に1度の検査に減り、

検査も3ヶ月に1度、

主治医から
「そろそろ検査も

半年に1回でもいいかな」と言ってもらい

病状も良くなっていたし

再発や転移も見られなかったので、


もう治ったんだ



安心して喜んでいた矢先の出来事です。


緊急手術から1年経ったある日の検査で血液腫瘍マーカに異常がでました。



MRI・CT・PETと入念に検査を行った結果、

転移していました。



以前にも増して、

健康であることに感謝し


もう病気は治ったと信じて

生活していた矢先のことでした、、、。


母は健康であることを願い、

50年もののヘビースモーカーでしたが

病をきっかけに、ピタリと禁煙もしました。


私は無神論者で

神さまがいるかどうかは知りません。

神社にも用事がないので行きません。


そんな私でも

母のためならと想い、

珍しく

「ガン封じ」


の神社を必死に探し、

家族でお参りにも行きました。


なんなんだよ。期待していたのに。



今まで神さまにお願いごとしたことないのに、、、


ひとつくらい叶えてくれたっていいじゃない。


期待はすっかり裏切られ

母は2020年の夏から半年間、

抗がん剤治療に専念することになりました。


母のこと③に続く




🌈こころのはぐ
心理カウンセラー田中春菜