これは、私の母が懸命に生きた証を自分の記憶に残したくて綴る、記録です。




私の母は2019年の7月上旬、

とある日曜日に意識を失い

自宅で急に倒れました。


幸いにも家族全員が在宅しており、

みんなで介抱することができました。


しかし翌朝、40度を超える高熱と

痙攣が続き、慌ててかかりつけの病院へ

車椅子で運びました。


血液検査の結果に異常が認められ、

そこから即、

救急車で総合病院へ運ばれました。


私は待合室で3時間半ほどの時間を

ひとり不安な気持ちで過ごしました。


月曜日の
お昼過ぎの出来事だったこともあり、

子どもは小学校へ行っていました。


時計を見るともうすぐ夕方。

子どもの下校時刻がせまっています。


私は、慌てて小学校へ連絡を入れ

事情を説明し

少しの間だけ、学校で子どもを

預かってもらえることになりました。


やっと母の色々な検査結果が揃い、

外科の先生も外来からぬけて

診察をしてくださいました。


3時間半待った私は

ようやくそこで呼び出され、

母と対面できましたが、

私と母は主治医から


思いもよらぬ
衝撃的な結果をきくことになったのです。


 「ここに写ってるのが、がんです」

「今すぐ手術しないと死ぬ」


 「書類にサインして!」


慌ただしく急かされる

その状況とは裏腹に

私は

ほぼパニックと

ショックで

頭が真っ白で、

何も考えられない時間が

数秒あっただけでした。


ぼう然と

立ちつくすことしかできなかった私を

目の前に


母は

「先生。私はもう72年、生きたので十分です。痛み止めだけもらって帰ります」


先生は

「手術室すぐ手配して」と


母の声も届かないほど母の命を守ろうと必死に


対応してくださいました。


手術の準備が整い、

母はベットに寝かされ

手術室に運ばれて行きました。


ベットから力ない弱々しい母の手が

ゆらゆらと、


行って来るね


と振られて

ひとり手術室の前に取り残された私は

あまりにも突然すぎる出来事から

どうなってしまうのかわからずに

今まであたりまえに

そばにいた大切な人を失ってしまうかもしれない


という思いと

混乱で、

膝から崩れ落ち

過呼吸になるくらい

泣き崩れました。



母のこと②へ続く。




🌈こころのはぐ
心理カウンセラー田中春菜