『哀れなるものたち』わたしのからだとマインドは、私のものだ。 | 小心者の大胆不敵 

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徒然に映画の感想綴ります。
偏愛映画多め。推しの愛にあふれ暴走気味。
現在Archie Madekwe推しです。大好き。

POOR THINGS (2023)

哀れなるものたち

人生に絶望し、身投げした女性。

死んで間も無い彼女に胎児の脳を移植したマッドサイエンティスト。

ベラ・バクスターを中心に広がる奇想天外なお話。


体は大人でも脳は赤ちゃんからのスタート。

言葉も喋れず、体も上手く動かせない。

赤ちゃんと同じく、学びながら

凄まじいスピードで成長していくベラ。

大人の体に幼児のような言動のベラ。

実験し、経験し、

スポンジのようになんでも吸収して学ぶベラ。


周りの男たちは、幼いベラを守ろうとする。

守るとは。

所有することなのか?

 

※ネタバレしています※

監視下に置くかのように、外に出さずに

ゴッド(マッドサイエンティスト)はベラを監禁する。

外に出ると危ない。危険がいっぱいだから。と。


さらにベラが成長するにつれ、

周りの男性たちはベラが賢くなっていくのを嫌がる。

または、優しく協力するように近寄り、

利用しようとしたり、

またはさらに束縛しようとする。

(ダンカン。マーク・ラファロのダメ男極まる名演)

ベラは自分の体についても冒険し

自分自身をどんどん発見していく。

ゴッドは、外に出たいというベラに対し

それは彼女の自由だからと送り出すが

ダンカンは束縛しようとする。

助手はベラを愛しており、そっと見守る。

ここで、彼女の選択を受け取る男性のタイプが

分かれているのね。


さらに、ベラは自分の体に対し、発見し

探究し、そして快楽を求める。

自由奔放に本能のままに動き回る。

なんでみんなこんな気持ちいいこともっとしないの?と。

映画の中ではセックスについての描写が多々出てくるが

(そのためR18指定なのね)

それは女性のからだは女性のもの、ということを

強調するためかな、、、必要以上の描写に感じたけど

そこまでしないと伝わらないのかも。

男と女の考え方、感じ方の違いなど、可視化されていて

ちょっと笑ってしまう箇所も。


彼女が自分で考え、選択し、

自分を理解するために娼館で働く際など

ダンカンは絶望し、ベラを罵る。

勝手に期待し、そして勝手に呆れ、

自分が破滅したのは彼女のせいだという。

何を言ってるのか。(ダメ男すぎる!)

 

こんな場面ではないけれど

みんな何かしら体験してるよね。

自分の体なのに、自分で選択できないように
なっていることがあったり。
なんで?って思うことで責められたり。
何かしら社会のルールとして存在しているようで
不利な選択肢しかないこと。

ベラにとって世界を知るということは
世界の不条理を知ることになる。
でも、この映画の中でベラはそれを軽々と超えていく。
爽快に軽やかに。
 
映画の中でベラが出会うマーサという女性。
客船で出会う彼女は、あの映画の中で唯一の
大人、だと思う。真の意味で。
そして連れのハリーは彼女に決定的な真実を見せる。

弱きもののときは優しく、

賢く強くなると嫌悪する。

そんな男達を蹴散らし、進むベラ。

これは、女性の解放の過程。

ベラは自分を確立し、

学び、そして、間違い、

人生の中でいくつもの選択を自分でしながら成長し、

思うように生きていく。


そしてそれを阻んでくる男たちときっちり戦う。

不快な描写もあり、

悔しいところもあり、

観ながらとにかく自分と向き合わざるを得なかった。

人間の醜さと欲望、

身勝手さを鋭く描き出す

ヨルゴス・ランティモス監督作品。


私のからだはわたしのもの。

わたしの精神も、私の自由だ。

ベラは教えてくれる。

当たり前のようなのに

不自由だったりしてない?


衣装にセット、ロケーションも素晴らしいです。

石岡瑛子とコッポラの「ドラキュラ」を参考にしてあると

何かの記事で読んだの、とても納得でした。

袖が膨らんだ独特なドレスやジャケット。

現代なのか昔なのかわからない

知ってる都市の名前は出てくるけど、

どこなのここ?みたいな街並み。

時代もよくわからないし、

音楽もへんてこ。

へんてこな動きや音楽、

衣装や設定が話題となりがちだけど

これは人生についての哲学的映画なのだと思う。


困惑しながらも自分を見失わないように

この作品を観よう。

人間はみな哀れなるもの。

もののあはれなり。 

死からはじまる、生の物語。

 

合わない人には合わないかも。

でも一見の価値ありだと思う。

先行上映で観てきました。

1/26より公開中。