プリオットの短編集 -3ページ目

プリオットの短編集

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Bar南極】。木造りの重い扉。いくつかのランプに照らされた薄暗い店内と、革張りのソファ。カウンター越し、下町の夜景。店の中央には大きな暖炉があって、煙突が天井を突き抜けている。緩やかに流れるウェス・モンゴメリの旋律が、最終の阪神電車の音に混じって心地いい空間を演出する。


「やあ、プリオ君。いらっしゃい。」



 バーテンの彼、ツチノコさんはグラスを全て拭き終えたらしく、椅子に座ってたばこを吸いながら、何かの雑誌を読んでいたらしい。平日の遅い時間の、客のいない店。予想通りの光景は僕を安心させてくれた。僕は先週、デパートで買ったばかりのボウラーハットを脱いで暖炉にあたった。ボウラーハットのつばには少し雪がついていた。

 

「ああ、ママは今ちょうどお稽古に出かけたよ。来ることがわかっていたら、いただろうに。なんだかお気に入りみたいだからね。あんたのことが。プリ様、プリ様って、あんたの話、よく聞く。」



 

「ハハハ。生き別れた息子さんとちょうど同い年らしいです。」


 いつものやつでいいかい?と言いながらツチノコさんはエプロンの紐を結び始めた。カウンターの左端。僕はいつものやつを飲みながら、明りの消えていく街並みを眺め、グラスの中できれいさっぱり溶けていく氷に、憧れたりする。この店には時計が無い。なぜないのかと以前ママに聞いたら、秒針に貼り付いたって時計と踊れるわけじゃないでしょ、とどこかの歌の文句を引用しておどけていた。



「今日は人と、会ってきたのかい?」


「うん。昔のね。音楽仲間だよ。」




               ☆   ☆   ☆



「プリオさん!」

 

 「やあ、久しぶりだね。」

 

 夕方のお初天神では、帰宅する人とこれから街へ繰り出す人が錯綜する。俯いた表情、僕のめまいは旧友に会ってはじけた。僕たちは京都で一番かっこいいロックバンドではなかったけど、彼は京都で一番かっこいいボーカリストだった。誰も真似できないステップ、観客をあおるMC、でも僕は知っていた。それは、彼の持つ本質的な不安定さが露出しただけなんだと。彼は、ただ理解して欲しかっただけなんだということを。最後に会った時と比べて、彼は少し太ったようだった。そして、それはあまりいい太り方ではないようだった。




 「また少し、調子が悪くなってたんだ。」




 彼は、とてもひどい症状を患っていた。それは、心の病だった。僕はそうか、とだけ言った。僕たちがビールを飲む間、音楽の話は一度も出なかったけど、僕はずっと彼の隣で無性にギターを弾きたいと思っていた。何も考えずにただひたすらコードをかき鳴らしたかった。でたらめなギターソロを弾きたかった。彼のウィンクを合図にジャンプする、ラブホテルの地下にある、狭くて汚いライブハウスで。


 タクシーに乗り込んだ僕を、彼はいつまでも見送っていた。大きく手を振りながら。いつまでも。いつまでも。




☆  ☆  ☆



 「ねえ、ツチノコさん。なんでいつも見送る側は、所在無く立ちつくすんだい?なんで、いつも見送る側は、ただの風景になるんだ?」



北大路にあった学生寮。ジミヘンのポスターが異様な存在感を放つ彼の部屋で、僕はまどろんでいた。朝まで一緒に映画を見て、僕が目覚めた時には雨が降っていた。彼は外出したのか何かで部屋にはいなかった。時間はわからなかった。古いステレオの再生ボタンを押すと、ビートルズのIn My Lifeが流れた。僕はIn My Lifeがこんなにも素敵な曲だとは知らなかった。ジョンレノンは本当に特別な存在だったのだと思った。毛布にくるまって聴き続けた優しい曲。優しい部屋。僕は何度も何度も繰り返し、In My Lifeを聴いたのだ。



今日彼の目に、僕はちゃんとやっているように見えたんだろうか。でも、違うんだ。僕は君みたいに純粋じゃないだけだ。正直じゃないだけだ。優しくないだけだ。誠実じゃないだけだ。狡猾な分、うまくやっているように見せているだけなんだ。本当は壊れそうなくせに、巧みにそれを隠しているだけなんだ。


でも。もし、地の果ての果て。瑠璃色の砂漠で、僕がこめかみに引き金を引こうとしたら、君はきっとこう言うだろうな。「やめなよ。プリさん。きっといいことあるよ。」と。 そんなことを逡巡し、僕は目をこすった。




 「大丈夫かい?プリオ君。」





 ツチノコさんは心配そうに僕の顔を覗き込み、そっと肩に手を置いた。僕は図らずもこの優しいバーテンに心配をかけたことがとても悪い様な気がして、大丈夫、大丈夫、と言いながら無理に笑顔を作った。



「なんだか色々ありそうだね。あんたも。」

 

 「月並みですよ。僕なんて。ツチノコさん、すまないけど、ビートルズをかけてくれないか?ラバー・ソウルを頼むよ。」